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辞めたはずのラグビーでなぜ日本代表に? 早稲田の元主将が“無職”になってでも追う2つの夢「お前何考えてるんだ、って声は気にならない」 

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中矢健太

中矢健太Kenta Nakaya

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2023/01/21 11:01

辞めたはずのラグビーでなぜ日本代表に? 早稲田の元主将が“無職”になってでも追う2つの夢「お前何考えてるんだ、って声は気にならない」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

7人制ラグビー日本代表としてワールドシリーズ(22年12月ケープタウン大会)に出場した丸尾崇真。オックスフォード大への進学を視野に入れながら、パリ五輪も目指す

 まず、大学時代に声をかけてくれた7人制代表の関係者にコンタクトを取った。すると、「9月のトライアウトを受けて」と返答が来た。2カ月後の本番に向けて、丸尾は練習場所を探した。

 早大に帰るのは、後輩たちのことを思うと気が引けた。キャプテンだった自分が急に現れたら、少なからず萎縮する後輩もいるだろう。そう考えた丸尾は、ワセダクラブに顔を出した。タッチフットでボールに触れ、走り込みも始めた。その後、合同練習で母校の早稲田実業を訪れた。人工芝のピッチに、整った用具。環境は抜群にいい。大谷寛監督に相談し、コーチとして関わりながら練習することになった。8月には1週間、菅平合宿に帯同した。そこで大谷から「福田さんに会え」と助言をもらい、また道が拓ける。

 福田さんとは、神奈川タマリバクラブ所属の福田恒輝氏。早大OBで1998年度に卒業。在学当時はスタンドオフとして赤黒ジャージを着ていた。その福田が翌日、菅平に来ると知り、丸尾は会いにいった。

 実はこれが初対面ではなかった。丸尾がまだ早実の生徒だった当時、たまに福田が指導するタイミングがあり、そこで面識を持っていた。

「今でも覚えているんですけど、僕がミスしたときに『なんだ今のは!』って怒った福田さんの顔が目の前に来て。当時は僕もヘンだったんで、普通みんなが引くところを『なんだよ』って前に出たんですよ。そしたら、めちゃくちゃ怒られて。

 でも、教えてもらっている立場でそれは良くないと思って練習後、謝りに行ったんです。そしたら、そこからすごく気にかけてくださって。その後も早実の試合をフラッと見に来てくれたり、大学に入っても『応援してるよ』って声をかけてくれたり」

トライアウトに合格、代表合宿に参加

 7人制ラグビーに挑戦することを相談すると、福田はタマリバに誘った。タマリバは7人制に注力しており、日本代表の育成スコッド「SDS(Sevens Development Squad)」との練習試合で勝ってしまうこともあった。丸尾は福田のサポートのもとタマリバに通い、トライアウトまでの準備期間で基礎を教わった。

 9月、熊谷で行われたトライアウトに無事合格し、丸尾は沖縄で実施された代表合宿に参加。ここから、アジアシリーズ、ワールドシリーズが立て続けに開催された。タイ、香港、韓国、ドバイ、南アフリカ。ノンストップで飛び回った。

【次ページ】 「僕は自分の軸通りにしか生きてない」

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