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「お前たちと一緒に勝ちたい」勇退の駒澤大・大八木監督が伝えた、田澤廉への「最後の声かけ」の中身…“大恩師”の涙、応えたエースが見せた意地
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/05 17:10
総合優勝を決め、エース・田澤廉と主将・山野力を抱きしめた、駒澤大学の大八木弘明監督
勇退する監督から、田澤が伝えられていた言葉
最後はこう言って笑みを浮かべたが、田澤が無理をしてでも2区を走った本当の理由を知ったのは翌日のことだった。
駒澤大が2年振り8度目の総合優勝を決め、その優勝会見が開かれていた席でのこと。大八木弘明監督が最後にマイクを引き取り、突然こう述べたのだ。
「今年で監督を退きますので、よろしくお願いいたします。藤田(敦史・ヘッドコーチ)と代わります」
駒澤大を指導して29年、この間に27度の学生駅伝優勝を誇る名将が今シーズン限りでの勇退を発表した。会見場は騒然となったが、じつは田澤たち一部の4年生はそのことを事前に聞かされていた。
だからだろう、たとえベストな走りはできなくても、監督の要請に首を横に振る選択肢はなかったのだ。
「本音を言えば自分の特性が生かせる3区を走りたかったですけど、ここ(2区)で自分が(相手エースを)抑えることで、後半に(鈴木)芽吹や山野(力)らを置けるので。監督には絶対に1番で襷を渡せと言われていたので、それだけはやりたかったんですけどね。残り3kmからけっこうフォームが崩れて、足も前に出なかったです」
「大恩師です」田澤の大八木監督への思い
田澤の4年間は、恩師の存在抜きには語れない。
持っている才能は素晴らしかったが、青森山田高時代の田澤は世代トップの選手ではなかった。高校3年時の全国高校駅伝では1区を走って区間15位。雪深い青森の地で静かに磨いてきた牙を、野に解き放ったのが大八木の指導だった。
豊富な経験に裏打ちされた効果的な練習メニューを課し、田澤もそれに応えた。ときに田澤の方から「もっとこうしてほしい」と要望を伝えることで、コミュニケーションはより活発になった。
田澤がエースに成長することで、チームも「平成の常勝軍団」と呼ばれていた頃の強さと輝きを取り戻す。田澤が2年の時に駒澤大は全日本駅伝を6年振りに制した。その勢いをもって箱根駅伝でも13年振りの優勝を果たし、チームは完全に上昇気流に乗った。田澤個人としても10000mで日本歴代2位の記録をマークするなど、成長は著しかった。
この二人三脚での4年間を振り返り、田澤は監督に対してどんな思いを抱くのだろう。
「自分をここまで育ててくれた大恩師です。正直、他大学のことはわからないですけど、あそこまで熱意のある監督は他にいないんじゃないですかね。熱量がすごくて、いつも自分を奮い立たせてくれますから」