酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「大谷翔平は神様のプレゼント」「巨人軍誕生は“文部省の待った”が一因?」87歳慶大名誉教授が知る「野球伝来150年」ウラ話
posted2023/01/01 11:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sports Graphic Number
昨年、2022年は日本に野球が伝来して150年だった。NPBのオールスター戦や日本シリーズなどでも「野球伝来150年」のポスターが掲示されていた。また、記念のイベントも行われた。
「野球伝来150年」を語る上で、慶應義塾大学名誉教授の池井優氏は最もふさわしい一人だろう。ご自身が大の野球ファンでプロアマの様々な委員を務めたこともあるが、“本業”が「日米外交史」で、この間の日米の関係をより大きな視点で語ることができることも大きい。
去る12月11日、法政大学で行われた「野球文化學會第6回研究大会」で、池井氏は「野球伝来150年」と題した基調講演を行った。87歳の名誉教授は、ときに楽しいエピソードを交えて「野球伝来150年」をわかりやすく紹介した。軽妙洒脱な池井氏の講演を紹介する。
始まったラジオ中継は情緒的な放送に
〈野球伝来から甲子園大会、大学野球まで〉
明治維新で日本政府は「お雇い外国人」を雇い入れますが、その一人がホーレス・ウィルソンです。ちょうど150年前のこと、この年「汽笛一声新橋を」でもって日本の鉄道が開通する。
ベースボールは旧制の第一高等学校あるいは慶應、明治学院、早稲田といった学校から普及していった。当時の日本にはスポーツという概念はなくて武道と捉えられていました。ベースボールは「野球」という訳を得まして、いつの間にか「野球道」と呼ばれるようになる。早稲田大の飛田穂洲監督が「一球入魂」を提唱したと言われます。
野球人気に目を付けましたのが大阪朝日新聞であります。全国中等学校野球大会を始め、これが夏の甲子園になった。するとライバルの毎日新聞は朝日が夏休みなら、毎日は春休みだと選抜大会を主催する。
ラジオの野球中継も始まった。NHKの名アナウンサー松内則三が「夕闇迫る神宮球場、ねぐらへ帰るカラスが二羽三羽上空を舞っております」と情緒的な放送を始めた。
さらに東京六大学がスタートして、天下分け目の早慶戦の実況中継によって、早稲田の「都の西北」、あるいは慶應の「若き血」「紺碧の空」などの歌が全国に普及していくわけであります。
「『ベ』以下は二流選手についても差し支え無し」
〈ベーブ・ルースと職業野球の始まり〉
さあ、こうした野球人気というものを横目に見ておりましたのが読売新聞。朝日毎日が学生野球ならうちは当時全盛期だった大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースを呼ぼうではないか――ということになった。