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「大谷翔平は神様のプレゼント」「巨人軍誕生は“文部省の待った”が一因?」87歳慶大名誉教授が知る「野球伝来150年」ウラ話 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2023/01/01 11:02

「大谷翔平は神様のプレゼント」「巨人軍誕生は“文部省の待った”が一因?」87歳慶大名誉教授が知る「野球伝来150年」ウラ話<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

長嶋茂雄、大谷翔平にイチロー……87歳池井優名誉教授が野球伝来150年について大いに語ってくれた

〈戦後プロ野球の興隆まで〉
 戦中の職業野球は「敵性スポーツ」でしたから野球用語から英語を追放するなど苦労を致しますが、ついに1944年の11月にプロアマを含むすべての野球が中止になる。この前年、ひそかに学徒動員を送る「最後の早慶戦」が戸塚球場で行われたのはよく知られています。

 長きにわたった太平洋戦争が終わり、アメリカは日本の占領政策を遂行するに当たって天皇と野球を利用することを考えました。

 戦前「現人神」と言われた天皇が全国を行幸した。そして日本人が大好きな野球。野球映画『ベーブ・ルース物語』やルー・ゲーリッグの『打撃王』が人気を博した。また進駐軍特別配慮によって特別の軟式ボールが配給されました。そしてサンフランシスコ・シールズがやってまいりまして、初めて後楽園球場でもって星条旗と日の丸が並んで上がるんですね。

銭湯に行って下駄箱で争ったのは「3番か16番」

 このようにいたしまして野球熱は戦後、急速に普及します。特に川上哲治の赤バットと大下弘の青バットに象徴されるプロ野球人気。我々もお風呂屋へ行きますと、下駄箱の札でもって大下の3番か川上の16番かということで争った。後楽園球場に行きますと水道橋の駅を降りたあたりからもうそわそわした。こうして野球は日本社会に定着をするようになりました。

〈長嶋茂雄の入団と巨人人気〉
 戦後の日本野球を変えたのは、1958年、立教大学の長嶋茂雄の巨人入団です。

 それまで人気は東京六大学の方があった。金曜になりますと週末の試合の予想記事が新聞に出て、早慶戦などは神宮球場に徹夜で並ぶ人が出るという人気でしたが、長嶋の巨人入団によって、プロ野球人気が一挙に高まります。

 テレビもラジオ巨人戦一色で、日本の野球ファンが巨人ファンかアンチ巨人か、どっちかになった。当時は高度成長時代です。一番安上がりなサラリーマンの娯楽は冷えたビールを飲んで、枝豆をつまみながら巨人戦のナイター中継を見ること。まさに巨人というのは高度成長時代の一つのシンボルであったわけであります。

巨人天下から地域密着・対抗という多極化時代に

〈ドラフト以後のプロ野球の発展〉
 やがてその巨人の天下も終わりがくる。まず長嶋が引退し王も引退。ON時代の終焉であります。

 プロ野球は多極化の時代を迎えます。ドラフト制度もあって従来は巨人あるいはセ・リーグ球団にしか行かなかった有力選手が方々のチームに散っていき、広島の初優勝、ヤクルトの日本一さらに西武ライオンズ、ダイエー、さらにはソフトバンクホークスの天下、パ・リーグの時代というものが段々にやってくるようになった。

 ドラフト指名される選手の方も、指名されたらどこでも行きます、という時代に変わってきた。

 また球界再編と前後したタイミングで、北海道に日本ハム、仙台に東北楽天、千葉にロッテ、埼玉に西武で東京にヤクルトと巨人、横浜にベイスターズ、名古屋へ中日、広島にカープ、九州にソフトバンク。こうしてアメリカ大リーグのように、地域対抗という意識が段々に出て地域密着型が定着してまいります。

【次ページ】 マッシー村上が適用を受けた「ホームシック条項」

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