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戦力外通告を受けた楽天“ドラ2”ピッチャー29歳「球団スタッフとして働く」つながらなかった携帯電話…11年前、高校生だった彼が教えてくれた話
posted2022/12/08 17:15
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
JIJI PRESS
私は、金沢高の時の釜田佳直投手(現在29歳)に「カットボール」なるものを教わった。
11年前、釜田佳直、高校3年の秋。北陸特有の分厚い雲に覆われたとても寒い日だったから、もう晩秋だったのだろう。雑誌の取材で、金沢高のグラウンドに、釜田佳直投手を訪ねた。
外で投げてもらうには寒すぎて、室内練習場でピッチングを受けた釜田投手。
すでに、2年の秋に「150キロ」をマークした剛腕だったから、彼独特のものすごいスピードの腕の振りから放たれるストレートには全球、ミットが遅れがちだったが、その途中で突然、
「カット、いきます!」
といわれた時には、
「オーケー、カット!」
なんて返しながら、内心では「ウワッ、カットか……」と動揺したものだった。
そういうボールがあるとは聞いていた。小さなスライダーみたいだとも聞いていて、球筋の想像はついてはいたが、見るのは初めて。受けるのも初めて……だいたい、スライダーだって、私たちの時代には誰でも投げられるボールじゃなかったのだ。
ツーシームに、スプリットに、カットボール……近年、海の向こうからいくつもの「新種」が輸入された。どんな魔球なのかと、はじめはずいぶん身を固くしてミットを構えたものだったが、わかってみると、ツーシームは沈むシュートだし、カットボールやスプリットは、要は真っすぐの“投げ損ない”とそんなに違わないことがわかって、それからは「真っ直ぐ待ち」で構えても捕球できる変化球たちになった。
釜田投手のカットボールは、ストレート同様、真一文字にふっ飛んできて、捕球寸前、キュッと右に向きを変えて、視界から消えた。アッと思ってミットを出しても、140キロ台のスピードを後から追っかけて、間に合うはずがない。後ろのネットを直撃していた。それがカットボールとの初対面だった。
「大谷翔平のスライダー」みたいな消え方だった。
「横に小さく曲げることもできるし、ちょっと沈ませることもできるんです。ちょっとした握りと指先感覚の違いで……」
淡々と、相手にわかるように語れる……インテリジェンスを感じていた。
11年後の「戦力外通告」
2年秋の明治神宮大会で150キロ。翌春のセンバツでも140キロ後半から150キロをコンスタントにマークして、夏の甲子園では2つ勝ちあがって3回戦に進出。
2011年のドラフトで楽天の2位指名でプロに進んで、11年間プレーした。
その釜田佳直がこの秋、戦力外通告を受けて、現役を引退した。