炎の一筆入魂BACK NUMBER
「存在価値はなくとも存在してた…」由宇の妖精・白濱裕太が在籍19年、出場90試合のカープ人生で得たものとは?
posted2022/12/05 06:01
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
KYODO
今季をもってついに引退した白濱裕太は、キャリア平均が8年にも満たないプロ野球の世界で19年生き続けた。同一球団で20年近く在籍すれば引退試合や引退会見が開かれるものだが、戦力外通告を受けての囲み取材のみ。歩んできたプロ野球人生のように、静かな幕引きだった。
2003年、地元広陵高で3年春に西村健太朗(元巨人)とのバッテリーで全国優勝を成し遂げ、ドラフト1位で広島に入団した。大きな期待を背負いながらも、度重なるケガで大きく出遅れた。一軍初昇格は2011年、8年目のシーズンだった。
当時の広島捕手には、石原慶幸、倉義和の二枚看板がいた。双璧を崩すことは容易ではない。一軍初出場も、石原の負傷離脱によって得たものだった。
2012年には35試合、2014年には30試合に出場した。着実に力を付けていた守備力は当時から認められていた。
ただ、大きな課題であり続けた打力を上げられず、ポジションを奪えなかった。捕手は守るだけでなく、打つことも求められる時代。当時の広島が得点力不足を課題としていたこともあり、3歳下の會澤翼の台頭とともに、一軍での出場機会は徐々に減っていった。
在籍19年、出場90試合、先発55試合
「一軍で多く使ってもらっていたときに(ポジションを)奪えなかったのは自分の責任。手放してしまった。自分にチャンスがなかったわけじゃない。チャンスを掴めなかった」
広島捕手で19年の在籍は2020年までプレーした石原と並び、球団最長だ。ただ、通算1620試合に出場するなど球団史に残る名捕手の前者とは対照的に、白濱は通算でも90試合にしか出場していない。先発はわずか55試合。2015年以降の8年間ではわずか3試合にとどまる。二軍でも、2020年以降の3年で計61試合出場と限られた。
二軍生活が長く続く中で、インターネット上では「由宇の妖精」とも呼ばれていた。決して名誉ではない呼称に、本人は苦笑いして言う。
「いい言葉なのか、悪い言葉なのか……。プロ野球選手は一軍でプレーしてナンボなので、どこかで反骨心はあった。絶対やってやろうって」
一選手として忸怩たる思いもあったが、今では笑って受け入れられる。