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〈大ブレークの原点〉「あの伝説のスライダーも!」阪神・湯浅京己の運命を変えた伊藤智仁の“魔法の引き出し”
text by
土井麻由実Mayumi Doi
photograph byJIJI PRESS
posted2022/11/26 11:06
「8回の男」としてブレークした湯浅。度胸満点の投球でチームのピンチを幾度となく救った
8月に入り2試合続けて負け投手に。長丁場のシーズンを戦うには経験不足だった湯浅に、伊藤監督は戦列を離れてのミニキャンプを命じた。湯浅が振り返る。
「ラダーとか使って、ジャンプとか瞬発系のメニューを中心に、監督がずっとつきっきりで教えてくれた。監督は練習方法の引き出しもすごく多いんです」
帽子を被ったその上からヘアバンドをつけて…
トレーニング方法はもちろん、ピッチングに関しても多くのことを教わった。当初から悩まされていた投球時に突っ込むという癖の修正法も、伊藤監督の引き出しにあったものだ。マウンドの傾斜を逆に使って後ろに重心を残すことを意識づけたり、片膝をついて行うネットスローで体が早く開いてしまうことを防ぐなど、その引き出しからさまざまなものを取り出しては提供してくれた。
ユニークなアドバイスもあった。湯浅には投げるときに頭を振りすぎるために、帽子を飛ばしてしまうという癖があった。伊藤氏は、帽子をかぶったその上に、頭頂部から顎にかけてヘアバンドを装着して投げることを提案した。物理的に固定されたということ以上に、意識づけを強くしたことによって癖は改善され、いつしかヘアバンドを外しても帽子は飛ばなくなった。常に自分に合ったものを、いいタイミングで出してくれる“魔法の引き出し”だった。
ミニキャンプの効果でキレを取り戻すと、それがピッチングにも反映されるようになった。8月25日にチームに合流した後はコントロールが安定し、初登板から毎試合出していた四球が激減。それまで147km止まりだった球速が上がっていき、最終登板となった9月17日のチャンピオンシップでは、とうとう151kmを計測した。
「今までにないくらいの感覚でした。気持ちも入っていたし、最初から飛ばしていけた。球は走っているとは思ったけど、あとから球速を聞いてビックリした」と湯浅。チームは敗れ、ゲームセットの瞬間は悔しさで過呼吸になるほど泣き崩れたが、最後のマウンドで大きな成長を印象付け、NPB入りの道を切り拓いた。
伊藤氏と言えば、現役時代は切れ味抜群の高速スライダーを操ったことで知られる。プロ1年目から大活躍し、あの松井秀喜を抑えて1993年の新人王を獲得した。1999年生まれの湯浅はその投球をリアルタイムでは知らないが、富山入団後はYouTubeで現役時代のピッチングを繰り返し見るようになった。
「(指導する際には)実際に投げて見せてくれるんです。あの伝説のスライダーも! すごいっスよ。キュッて曲がる。本当にすごいピッチャーだし、なんでも知っている。ピッチャーとしても人としても尊敬しています。あんな人になりたい」
憧れの思いは今も変わらない。