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〈大ブレークの原点〉「あの伝説のスライダーも!」阪神・湯浅京己の運命を変えた伊藤智仁の“魔法の引き出し”
text by
土井麻由実Mayumi Doi
photograph byJIJI PRESS
posted2022/11/26 11:06
「8回の男」としてブレークした湯浅。度胸満点の投球でチームのピンチを幾度となく救った
「心技体」じゃなくて「体技心」の金言
伊藤氏が振り返る。
「最初にピッチングを見た時、これはモノが違うと思いました。ひょっとしたらNPBのローテに入れるんじゃないか、おもしろい存在だなと感じていました」
登板に向けて気持ちを膨らませていた湯浅に、伊藤監督は入団早々「初登板はゴールデンウイーク」と告げた。デビューを“お預け”にしたのは、まずはピッチャーの基本である体作りに集中してほしいとの思いからだ。
富山監督時代、伊藤氏は選手たちに常々こんな言葉をかけていた。
「コンディションが大事。鍛えられた体があってはじめて、いい練習ができる。いい練習ができれば技術もついてくる。まずは体。『心技体』じゃなくて、『体技心』の順番なんだぞ」
湯浅もその意味を理解し、どんなにきつい練習にもへこたれずについていった。
デビュー戦は予告通り、ゴールデンウイーク真只中の5月4日。少しずつイニングを増やしていき、5月20日の試合では6回2失点(自責1)で初勝利を挙げた。偶然にも同日は湯浅の母・衣子さんの誕生日で、故郷の三重県から駆けつけた前で、勇姿を見せることができた。試合後、湯浅はウイニングボールを渡しに両親の元へと走った。高校時代に何度も「辞めたい」と泣いたとき、「頑張れ」と励まし支え続けてくれた両親に少し、恩返しができた瞬間だった。
夢のNPB入りへ、大きな刺激となったのが、巨人三軍との試合だ。
「いつもと違う空気で緊張した。絶対に抑えてやると意気込んだけど……」
気合いが空回りして、3回を被安打9(うち本塁打1)、12失点と撃沈した。あまりの悔しさに試合直後から一心不乱に走り込む湯浅の姿があった。崩れていた投球フォームを立て直すため、シャドーピッチングやネットスローを繰り返した。
疲労が溜まる夏場にはさらなる試練が待っていた。