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〈大ブレークの原点〉「あの伝説のスライダーも!」阪神・湯浅京己の運命を変えた伊藤智仁の“魔法の引き出し”
posted2022/11/26 11:06
text by
土井麻由実Mayumi Doi
photograph by
JIJI PRESS
今季の阪神タイガースで大ブレークを遂げたのが湯浅京己だ。チームの懸案だったセットアッパーに定着。59試合に登板し45ホールドポイントを挙げて最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。11月25日に発表されたセ・リーグの新人王は大勢(巨人)に譲ったが、鮮烈な印象を残した右腕には、来季巻き返しを狙うタイガースの新星として期待が寄せられている。プロ4年目の23歳ながら、度重なる故障を克服した草魂の男。湯浅のブレークの原点とも言える、独立リーグ・富山GRNサンダーバーズ時代を振り返り、運命的な出会いとその成長の軌跡を追った。
あの頃、誰がここまでの活躍を予想できただろうか。まさか入団4年目でタイトルホルダーとなり、侍ジャパンの強化試合メンバーに選出され、さらにはそのデビュー戦で勝ち星を挙げようとは。ただ、あの頃……独立リーグ時代も、感じさせる可能性は無限大だったのは確かだ。
大学進学の勧めに首を振り独立リーグへ…
「1年でNPBに行く」
そんな誓いを胸に湯浅京己が独立リーグに進むことを決断したのは、聖光学院高時代に味わった不完全燃焼の思いが胸に燻っていたからだ。1年生の5月ごろから成長痛に苦しみ、2年秋までプレーができなかった。復帰後、3年夏の県大会で球速は145kmまで出るようになったが、チームは近年でもとりわけ投手層が厚く、実戦経験の少なかった湯浅は甲子園メンバーから外れた。
夏が終わり、両親も指導者も大学進学を進めたが、湯浅は決して首を縦に振らなかった。「野球だけに集中したい」と、ルートインBCリーグのトライアウトを経て、富山GRNサンダーバーズ(今年から日本海オセアンリーグに所属)に入団した。
それまで縁のなかった富山の地で、湯浅は運命的な出会いをすることになる。夢へと導いた最も大きな存在は、湯浅が在籍した1年間だけ富山の指揮をとっていた伊藤智仁監督(現・ヤクルト投手コーチ)だ。