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ぶら野球BACK NUMBER
「鉄アレイを指に挟んで…」「山にこもり座禅」村田兆治の壮絶な野球人生…“拷問のような特訓”から現役最後の1年を迎えるまで
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/11/24 11:01
通算215勝を挙げた豪腕投手・村田兆治。伝家の宝刀・フォークボール習得の裏にあった“壮絶な努力”とは
かなりぶっ飛んだ先輩だが、85年4月14日の西武戦で1073日ぶりに先発して勝利投手に。手術明けにもかかわらず155球の完投勝利というムチャクチャさもまた村田らしい(ジョーブ博士からは、100球以上投げることを禁じられていた)。そこから、中6日で毎週日曜に先発登板の“サンデー兆治”として復活すると、開幕11連勝を記録。35歳の不死鳥とメディアで人気となり、その年は17勝を挙げ、見事カムバック賞を受賞した。閑古鳥が鳴くボロボロの川崎球場を本拠地とする80年代、ロッテと言えば村田と三冠王・落合博満という時代があった。
39歳シーズンも大活躍。しかし…
ファミコンソフト『燃えろ!!プロ野球』シリーズはマサカリ投法のリアルな再現度の高さが売りのひとつだったし、『ファミリースタジアム』の連合チーム「フーズフーズ」のエースむらたのフォークボールの落ち方は、ファミスタ内ぶっちぎりトップのエグさで、このゲームをきっかけに村田兆治の凄さを知った若いファンも多い。なお村田が持つ日本記録の148個の暴投はほとんどがフォークのワンバウンドで、背番号29もそれを恥じることはなかった。
元号が平成に変わった89年には自身12度目の開幕投手を務め、西武相手に149球の完封勝利。5月13日の日本ハム戦で通算200勝を達成する(この舞台となった山形県野球場には「ロッテオリオンズ村田兆治投手 200勝達成記念 山形県中山町」という記念レリーフが設置されている)。さらにオールスター戦では39歳8カ月の史上最年長の勝利投手となってMVPに輝き、防御率2.50で13年ぶり自身3度目の最優秀防御率を受賞した。平成でもマサカリ兆治ここにあり。まだまだ現役バリバリと思いきや、村田はコーチ兼任で迎えた翌90年に「最後の1年」を迎えることになる。〈つづく〉
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