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「引退したくない!」鄭大世が引退発表翌日に古巣・川崎のスタジアムで絶叫した理由「実は等々力に来るのが、しのびなかったんです」
posted2022/11/08 11:00
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Yuki Suenaga
俺もこのチームでプレーできれば、いまでも活躍できる
――現役引退を発表した翌日、10月29日の等々力陸上競技場で試合後、川崎フロンターレのファン・サポーターが、かつてクラブに在籍(2006年―2010年)した鄭大世さんの現役引退を惜しむようにチャント(応援歌)を歌っていましたね。
鄭大世 いても立ってもいられないほどうれしかったですよ。最初はスタンドで聞いていたのですが、そのあとピッチレベルまで降りました。ゴール裏のGゾーン(熱狂的なサポーターが集まるエリア)の目の前まで行くと、さらに思いがこみ上げてきて……。青春時代に聞いた曲って、いつ耳にしても懐かしさを感じるし、何歳になっても聞きますよね。僕の中では、それと同じ感覚。当時の記憶が一気にフラッシュバックしてきました。
――フラッシュバックしたときは、どのような気持ちになりましたか。
鄭大世 胸が熱くなりました。フロンターレのユニホームを着ていた4年半は、かけがえのないものなので。清水エスパルスに在籍(2015年―2020年)していたときには聞くことができなかった大好きなチャントを歌ってもらいました。静かな会場に響き渡る『テセ、ゲットゴール』という歌声を聞くと、等々力でまたゴールを取り、あれをもっと聞きたいと思いました。
――あのとき、鄭大世さんは拡声器を手に持ち、「引退したくない!」と叫んでいましたね。
鄭大世 心の底から出た声です。10月29日に見たフロンターレのサッカーは最高だった。次から次に前線へ質の良いパスが届き、選手たちも楽しそうで。「俺もこのチームでプレーできれば、いまでも活躍できる」と思いました。すごい高揚感を味わい、現役を続けたい、やめたくないという気持ちになり、まるで20代に戻った気分になりました。実は等々力に来るのが、しのびなかったんです。フロンターレを離れて、ドイツのボーフムへ移籍し、ケルン(ドイツ)、韓国の水原三星を経由して日本に戻ってくるときは清水エスパルスを選びました。当時は自分の中ではベストの選択だと思っていたんです。そして、プレースタイルを変えながらも、38歳の年齢までプレーしてきました。でも、いざ等々力に足を運ぶと、昔に戻りたくなりますね。この場所でサッカーがしたいって。みんなが別れを惜しんでくれて、幸せを感じました。