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「引退したくない!」鄭大世が引退発表翌日に古巣・川崎のスタジアムで絶叫した理由「実は等々力に来るのが、しのびなかったんです」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byYuki Suenaga
posted2022/11/08 11:00
10月28日、今シーズンでの引退を発表した鄭大世に、引退決断の理由と発表翌日に飛び出した「引退したくない!」発言の真意を聞いた(全3回のうち、第1回)
鄭大世 2006年4月8日、アウェーのサンフレッチェ広島戦でメンバーから外れて、寮の部屋で母親に電話しながら号泣していたことはよく覚えています。悔し涙の話をすれば、切りがないですよ。僕は考えてすぎてしまうタイプで、大卒1年目から結果を出さないと、クビになると思っていました。
――では、うれし涙はありますか。
鄭大世 キャリアを振り返れば、北朝鮮代表として44年ぶりにワールドカップ出場を決めた瞬間です。2009年6月17日のサウジアラビア戦は、生涯忘れられない。2010年南アフリカワールドカップ初戦のブラジル戦もそう。国歌が流れたところで、実感がわいてきて、号泣しました。朝鮮大学校時代には東京都3部リーグでプレーしていた選手だったのに奇跡の連続で、世界最高峰の舞台まで辿り着いたんですから。あとは清水エスパルスの一員としてJ2を戦い、J1昇格を決めたときも感情が爆発しましたね。何かを成し遂げて流した涙は、それくらいかな。
一番いい思い出として残っているのはフロンターレ時代ですが、思い返してもうれし涙はなくて……。やっぱり、僕は優勝できなかったから。
――最も悔しい思いをした涙の思い出は?
鄭大世 09年のナビスコカップ決勝でしょうね。FC東京に負けた試合です。負ける気はしなかったのですが、また負けてしまって。表彰台の上でうなだれ、泣きました。「俺のせいだ」と思ったんです。それぞれが責任を感じていたと思いますが、勝負どころで点を取れなかった僕とジュニーニョのせいです。2人とも1点も取っていなかったから。いま思えば、ピッチの上で流した悔し涙は、フロンターレ時代だけかもしれません。リーグ戦では2位が3回(06年、08年、09年)、ナビスコカップ準優勝(07年、09年)が2回。一つ言えることは、悔しくて泣くほど、本気で取り組んでいたんです。
エスパルス時代に川崎はどう見えていた?
――2017年に川崎Fがリーグ初優勝を飾ったときは、清水に在籍していましたが、どのような思いで見ていましたか。
鄭大世 自分のことのように、めちゃくちゃうれしかった。正直、まったく川崎が優勝するとは思っていなかったんです。前年もあと一歩のところで負けていましたし、結果をチェックしてなくて。すると、兄からLINEが来たんです。「フロンターレ、良かったね」と。まさかと思い、すぐに映像で確認すると、等々力のみんなが喜んでいるんですよ。これが優勝なのかって。(中村)憲剛さんがピッチに突っ伏して号泣する姿を見て、もらい泣きしました。「自分のせいで優勝できないと思ったこともあった」というコメントを読み、また涙ですよ。いまでも思い出すと、泣きそうです。