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草野球で無双していた謎の男が“ドラフト10位”で指名されるまで…元ヤクルト田畑一也「ドラフト最下位」秘話〈パンチョ伊東のラストコール〉

posted2022/10/19 11:01

 
草野球で無双していた謎の男が“ドラフト10位”で指名されるまで…元ヤクルト田畑一也「ドラフト最下位」秘話〈パンチョ伊東のラストコール〉<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

ヤクルトでの活躍が印象深い田畑一也。異色の経歴を持つ男は、1991年ドラフト会議でダイエーから10位指名を受けてプロの道を歩み出した

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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photograph by

Sankei Shimbun

 野球人にとってドラフト会議で指名されることは、プロ野球という夢の入り口に立つことである。目玉とされる選手は早々に名前が呼ばれていくが、それ以降の選手は各球団の事情など、その時のタイミングによって運命が大きく変化する。
 今回は「ドラフトで最後に呼ばれた男たち」の心情に書籍『ドラフト最下位』(著・村瀬秀信/KADOKAWA)を一部抜粋して転載する。ヤクルトや巨人で活躍した田畑一也さんのストーリー「パンチョが最後に名前を呼んだ男」(2012年取材)をお楽しみください(全2回の1回目/続きは#2へ)。
ノンフィクションライター村瀬秀信氏が雑誌『野球太郎』誌上で連載した原稿を加筆修正して書籍化したもの。「ドラフト最下位」で指名された全16名のストーリーが掲載されている(2019年9月20日発行)2019年9月20日に発売された『ドラフト最下位』はノンフィクションライター村瀬秀信氏が雑誌『野球太郎』誌上で連載した原稿を加筆修正して書籍化したもの。「ドラフト最下位」で指名された全16名のストーリーが掲載されている

「第10回選択希望選手──。福岡ダイエー、田畑一也。22歳。投手。田畑建工」

 この年での退任が決まっていたパンチョ伊東氏のラストコールが、新高輪プリンスホテルに甲高く響き渡ると、場内からは第1回のドラフト会議から司会を務めたこのドラフト名物男に対し、惜別の拍手が送られていた。

 ちょうど、その頃──。全国的には誰にも注目されていなかった最終コールを受けた張本人。1991年の最終92番目に指名を受けた田畑一也は、自宅電話前で半ば諦め気味に球団からの連絡を待っていた。

「こりゃ、もうねぇなぁ~って覚悟していましたよ。テレビ中継は13時ぐらいからはじまりましたけど、ドラフト10位が指名される頃なんてさすがに終わっていましたからね。僕の場合、ダイエーの入団テストに合格して、『指名する』との言葉をいただいていましたが、1位で4球団競合の末に若田部を当てたでしょ。その後の指名も2位の作山(和英)、4位の三井(浩二)、5位の山口(信二)と投手ばっかり。これ、もうオレいらねぇだろって普通思いますよ」

「ドラフト外」が廃止された年

 駒澤大の若田部健一が最大の注目株となった91年のドラフトは、1位で石井一久、斎藤隆、田口壮、落合英二、4位ではイチロー、中村紀洋、金本知憲などが指名された当たり年。この年から「ドラフト外」入団が廃止される代わりに、最大指名枠数が10位まで拡大されたことでドラフト前に入団テストに合格していた田畑は12球団で唯一、その10位で指名された選手となった。

「プロ野球の世界なんて右も左もわからないですからね。指名の確約なんて何もないですよ。入団テストを受けたら『秋季キャンプに来い』って言われて、1週間チームに帯同したら当時のダイエーの穴吹(義雄)編成部長が『たぶん、指名するから』と。それだけ。これまでのドラフト外入団だったらテストに合格した時点で、契約や入寮日の話があったのかもしれないけど、ドラフト経由じゃ仮契約もなく、何位で指名してくれるのかもわからない。当日はドキドキというか……もう若田部が決まった時点で、半分は諦めていた感じですかね。僕は2年間硬式で投げていなかったわけですから、そんなピッチャー無理して取らないでしょ」

 ダイエーの交渉権獲得が決定し、若田部が紅茶を一気飲みしてマスコミを沸かせていたその時、田畑は苦虫を嚙み潰した汁を一気飲みしたような表情だったに違いない。

【次ページ】 「こりゃ、もうダメだとほぼ諦めた17時半頃に」

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