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落合博満が認めた「お前との勝負は三振でいい」“落合の天敵”盛田幸妃とは何者だったのか? 大酒飲みの無頼漢が“奇跡のリリーバー”と呼ばれるまで
posted2026/05/30 11:20
横浜時代の盛田幸妃。シュートを使った強烈な内角攻めで、落合博満をはじめ右打者に対して無類の強さを誇った
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph by
Sankei Shimbun
「俺、そんなに生きられねえから」
2012年6月下旬。梅雨真っ只中の湿り気に満ちた夜が白々と明けていく、午前5時前のことだった。
泥酔した四十路すぎの中年男性二人が横浜市内の街道沿いを千鳥足で歩く途中、ガタイのいい片割れが右足を引きずりながら、唐突に口を開いた。
「俺、そんなに生きられねえから、今から俺に密着して本にまとめない? 売れるよ。50までは絶対に生きられないし、正味、今から2、3年くらいじゃねえかな」
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酔いにまかせた戯言だと思い、軽く諌める。
「ふざけたことばかり言ってないで、早く帰って寝ましょう」
「売れるんだけどなぁ」
右足を引きずる盛田幸妃は、口惜しそうにぼそっと呟いた。
まさか、盛田の言葉が現実になってしまうとは、この時点ではつゆにも思わなかった。
盛田幸妃が“奇跡のリリーバー”と呼ばれるまで
脳腫瘍に羅患した野球選手として、多くの人がまず思い浮かべるのは昨年ヒットした映画『栄光のバックホーム』の主人公となった横田慎太郎だろうか。阪神期待のホープはプロ4年目の2017年に脳腫瘍の宣告を受け、2年間の闘病生活とリハビリを経たが一軍復帰は叶わず、24歳で引退。その後、2022年3月に腫瘍が再々発し、翌年7月に28歳の若さでこの世を去った。
横田の現役時代から遡ること約20年前の1998年、脳腫瘍の手術から復活を遂げた“奇跡のリリーバー”がいた。その男こそが盛田幸妃だった。脳腫瘍から復帰して一軍で結果を残したのは、長いプロ野球史のなかでも盛田だけではないか。
盛田は北海道南西部の鹿部町にある、16代続くホタテ漁の網元・盛田家の長男として生を受けた。函館有斗(現・函館大付属有斗)から1987年、ドラフト1位指名で大洋に入団。当時のドラフトの目玉だった立教大の長嶋一茂を指名した大洋は抽選に漏れ、外れ1位で盛田を指名したのだった。

