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東京五輪世代・橋岡大樹はW杯へ「最後までもがきたい」 香川も岡崎も「絶対に準備しておくべき」…そして奮い立った“恩師”の言葉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2022/10/15 17:00
ベルギーで経験値を積む橋岡大樹。東京五輪世代のDFとしてステップアップを誓う
古巣レッズへの感謝と「大槻さん」からの言葉
――ステップアップに向けて勝負のシーズンとなる今シーズン前、日本帰国中に古巣の浦和レッズと、レッズのアカデミー時代の恩師である大槻毅監督のザスパクサツ群馬を訪ねたことが話題になりました。どんな刺激を得ましたか?
「レッズは自分の育ったクラブなので、居心地がいいし、みんなと久しぶりに会えて楽しかったですけど、この環境だと、どこかで甘えが出ちゃうなっていうことも感じて。自分のプレーがダメだったとき、慰めてくれる人がたくさんいる。それによって自分のメンタルが安定するのは間違いないんですけど、もっと厳しい環境に身を置かないと成長できないよな、とも改めて感じて。それだけレッズは僕にとって居心地のいい場所なので」
――大槻さんとは、どんな話を?
「『ご飯に行きましょう』と連絡したら、『練習出ちゃえよ』と(苦笑)。それで練習に参加させてもらって、練習中に話をして。『お前ができるのは分かっている』『ここから俺がサポートできることは何もないけど、やるしかないよな』みたいなことを言われました。
僕は大槻さんに中学3年生からずっと見てもらって、プロに入ってからも大槻さんに試合に出してもらって、ここまで来た。大槻さんは、すごく自信を与えてくれるんですよね。僕が落ち込んでいるときに、『お前だったら、これくらいできるから』と励ましてくれたり、いいプレーをしたら、『お前だったら、もっとできるよ』とハッパをかけてくれたり。忘れられないのは僕が高3のとき。翌年にロシアW杯が控えていたんですけど、『お前は来年、W杯に行くんだぞ』って」
「お前は将来、海外でやると思う」と言われたからこそ
――高校3年生に、目指せと?
「A代表にかすってもいないどころか、プロにもなっていないのに、『お前は行くんだ』と。びっくりしましたけど、それくらいの気持ちでやらないと、上に行けないんだなって。『海外でめちゃくちゃ活躍しろ』とも言われていました。
振り返ってみると、僕が中学3年のとき、センターバックだったんですけど、大槻さんにサイドバックで何回か起用されたんです。そのとき、『お前は将来、海外でやると思う。海外ならサイドバックで勝負したほうがいい』って。そこまで考えてくれていたんだなって、今改めて思います。だから、大槻さんの期待に応えたいという思いがありますね」
――橋岡選手が思い描く未来像は?
「自分の中ではっきりしていて。次のステップとしては、5大リーグの1部のチームに移籍して活躍する。そこからさらにもうひとつステップアップしたい。チャンピオンズリーグに出るチーム、チャンピオンズリーグ優勝を目指せるチームに行って活躍するというのが自分の中で思い描いている理想ですね。リーグとしては、最終的にプレミアリーグでやりたい。そこでできる限りやって、やり切ったな、と思えたら日本に帰って。レッズに戻って『橋岡、すげえな』って違いを見せられるぐらいのプレーをしたいと思っています」