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アントニオ猪木が野次に「つまみ出せ、コノヤロー!」若き日の高田延彦と武藤敬司が見た、“プロレスラー猪木が闘い続けたもの”の正体
posted2022/10/09 11:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Yuki Morishima
――お二人は共に1962年生まれですけど、新日本プロレス入門は高田さんが'80年、武藤さんが'84年と4年違うんですよね。
武藤 えっ、4年も?
高田 こっちは17歳で入ってるからね。だから武藤ちゃんが入ってきた時は、意外と接点ありそうでなかったんだよね。
武藤 俺が入ってすぐ、高田さんは(第1次)UWFに行かれて、その後、長州(力)さんたちも抜けて。先輩たちがごっそりいなくなったから、俺ら(闘魂)三銃士はのびのびと新人生活を送れたんですよ(笑)。
猪木が許せなかった野次「つまみ出せ、コノヤロー!」
――それに対して高田さんの時代は昭和新日のフルメンバーがいたので、道場の雰囲気も4年という歳月以上に違ったんでしょうね。いわゆる猪木イズム、新日イズムがより色濃かった時代で。
高田 当時はプロレスが世間の偏見に晒される機会って今よりずっと多くてね。地方会場ではプロレスを馬鹿にした野次を飛ばすお客がよくいたの。そうすると猪木さんが先頭に立って怒り出すんだよ。俺たち若手に「つまみ出せ、コノヤロー!」って怒鳴って。だからチケットを買って入ってきてるお客さんを何十人つまみ出したかわからない。それくらい猪木さんはそういう野次に敏感だったし、俺自身プロレスをそういうふうに言われるのがすごく嫌だった。そこは猪木さんと同じ想いを共有していたのかもしれない。
武藤 世間の目と戦ってたんですね。昔の新日本は、客入れした後もリング上で第1試合開始ギリギリまでスパーリングやってましたよね。