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アントニオ猪木から「しょっぱい試合をしやがって!」武藤敬司が高田延彦に明かす“新日本vsUインター対抗戦”のあの日、何が起きていたのか 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byAFLO

posted2022/10/09 11:00

アントニオ猪木から「しょっぱい試合をしやがって!」武藤敬司が高田延彦に明かす“新日本vsUインター対抗戦”のあの日、何が起きていたのか<Number Web> photograph by AFLO

10.9全面対抗戦から27年。メインイベントで闘った武藤敬司(左)と高田延彦(右)が当時を振り返る

あの日、二人が背負っていたもの

高田 それは間違いなくある。精神的に相当削られたからね。10.9の何カ月前かな、Uインターの(6.18)両国国技館のリング上から「きわめて近い将来に引退する」って宣言したの。

武藤 えっ、ホントですか?

高田 嫌になっちゃったんだよね。社長という立場になったことで、背負うものが盛りだくさんでさ。会社の業績が苦しくなってからは雑念に翻弄される毎日ですよ、ホント(笑)。ファイターが選手として没頭できず、練習以外のことで振り回される現実に疲れ果てていたのよ。

武藤 会社が苦しくなると、そうなっちゃうんですよね。

高田 だからその1年くらい前から「どこかで言おう」と思ってたの。でも誰かに相談したら止められるから、妻にも会社の取締役にも一切言わず、両国のメイン終了後に言っちゃえと思ったんだよね。

武藤 それで一度引退したんですか?

高田 してない。会社に借金があるから辞めたくても辞められない。だから「極めて近い将来」って表現になった。その引退発言の翌月には参院選にも出馬してるんだよ。選挙なんかまったく出る気がなかったけど、断りきれなくてね。「選挙に出るから引退なんだ」と結びつけられたけど、全く関係なかった。でも結局落選して心身ともにボロボロ。10kgも痩せてさ。そんな時に急きょ持ち上がったのが新日本との対抗戦だった。

武藤 そんな大変な状況だったんですね。もし選挙で当選してたら人生変わったんじゃないですか?

高田 変わってたかもしれないね。きっと新日本との対抗戦もやってないよ。

武藤 だったら俺はもっと早くに引退してたかもしれない(笑)。

対抗戦を終えて、「もう本当に辞めようと」

高田 だから対抗戦が終わってUインターを清算したあとは、もう本当に辞めようと思ってね。ただ、どうせ辞めるなら、自分が震えるほど怖い相手、誰もがナンバーワンだと認めるファイターとやって、純粋な闘いだけに没頭してから辞めたい。そう考えた時、これまでの因縁も含めてヒクソン・グレイシーとやろうと思ったの。

武藤 それでヒクソンとやったんですか!

高田 それと同時にマイク・タイソンとやる話が向こうから来て、ぜひともやりたかったんだけど、もうヒクソン戦の契約をしちゃってたから、それは実現しなかった。

武藤 そんな話もあったんですか。タイソンとやったら面白かっただろうな。ヒクソンより全然知名度あったでしょう。

高田 当時の知名度ではタイソンの方が比べ物にならないくらいに上。俺もやりたかったけど、それが人生の綾なのかな。

武藤 対抗戦にしろヒクソン戦にしろ、あの頃の高田さんの決断がプロレス界、格闘技界に大きな影響を与えてたんですね。

《つづく》

#2に続く
アントニオ猪木が野次に「つまみ出せ、コノヤロー!」若き日の高田延彦と武藤敬司が見た、“プロレスラー猪木が闘い続けたもの”の正体

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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