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アントニオ猪木が愛した熊本“伝説のビアホール”「猪木さんは優しかった」91歳マスターの追憶…死去の前に“2度の電話”「ああ、間違っちゃった」

posted2026/02/20 11:03

 
アントニオ猪木が愛した熊本“伝説のビアホール”「猪木さんは優しかった」91歳マスターの追憶…死去の前に“2度の電話”「ああ、間違っちゃった」<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木のブロンズ像を手に微笑む熊本市「ビア・ホールMAN」の村田善則マスター(91歳)

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

 1980年代半ば、『週刊ゴング』や『週刊プロレス』などのプロレス専門誌にアントニオ猪木ブロンズ像の広告が載っていた。その製作者である村田善則さん(91歳)は熊本市のビアホール「ビア・ホールMAN」のマスターだ。猪木と村田さんの出会いは猪木29歳、村田さん38歳の時だった。村田さんは猪木に惚れて猪木のブロンズ像を作った。

 プロレスファンが集う熊本のビアホール、それがビア・ホールMANだ。猪木ファンでなくてもプロレスファンなら一度は行ってみたいと思う店だ。40席ほどの店は、試合の前日や当日はいつも超満員だという。

「アントニオ猪木の優しさと強さに惚れた」

 村田さんと約束した日はあいにくの雨だった。来るはずのマスターはタクシーが拾えず、ずいぶん遅れて店に到着した。

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 ついに待ちに待ったマスターの到着だ。満員の客は総立ちでマスターを出迎えた。スーパースターのような入場だった。マスターは笑顔でボクシングのスピーディーなパンチを繰り出し、「ありがとう」と歓迎に応えた。

「久しぶりマスター」「会えてよかった」という声が交錯する。

「下半身が弱っちゃって、上半身は元気だよ」とマスターは繰り返す。脊柱管狭窄症を患って店に出る回数が減った。それでも「まだ女の人を抱けるよ」と笑ってみせる。

「アントニオ猪木の優しさと強さに惚れた」とマスターはしみじみと語る。猪木は店に来るといつも奥の角の席に座ったという。

「最初は藤波辰巳(辰爾)が来たんです。今度、猪木さん連れて来てよ、と頼んだら猪木さんが来てくれた。そのころ私はボディービルダー像を作っていた。それを見た坂口(征二)さんが、『マスター、猪木さんのを作ったらどうねん』って言ってくれた。それで作ることにした。坂口さんのおかげです。ブロンズ像作るときは試合の日、写真を前から後ろから写してね。あれは猪木さんが自分で考えたスタイルなんです」

【次ページ】 ケンカに明け暮れた「めちゃくちゃな人生」

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