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松坂大輔「お前には絶対打たせない」怪物が敵視した“PLの4番”はその後、どうなった? 亜細亜大学に進学も「ノイローゼで考え方もおかしく…」 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph byKazuhiko Furuhata

posted2022/10/04 11:04

松坂大輔「お前には絶対打たせない」怪物が敵視した“PLの4番”はその後、どうなった? 亜細亜大学に進学も「ノイローゼで考え方もおかしく…」<Number Web> photograph by Kazuhiko Furuhata

甲子園で出会った松坂とPL4番・古畑和彦の貴重なツーショット。その後も2人の交流は続き…

PLの4番という「聖域」

 小学生の時からPL学園が憧れだった。高校3年のセンバツ前、中村順司監督に呼ばれ、初めて4番を言い渡された時は「最高でしたね」と当時の心境を振り返る。

「PLの4番ってやっぱり違うんですよ。僕の中では福留さんの存在が大きくて、その福留さんが打っていた打順に就くということで、びっくりしましたけど、当時は自信もあったので『よし、やってやるぜ』って感じでした」

 西田真次(現在は真二)、吉村禎章、清原和博、片岡篤史、福留孝介…。名だたる先輩たちが築き上げてきた「聖域」にいた自分にとって、大学の細かな野球にはついていけなかった。

「もうノイローゼですよ。考え方もおかしくなっていました」

 体重も76キロから66キロまで減少、高校通算17本塁打を放った豪快なスイングも鳴りを潜め、打球が外野にすら飛ばない時期もあった。

 ちょうどルーキーの松坂が日本ハム戦でPL4番の先輩・片岡篤史を155キロで空振り三振に斬って取るなど、鮮烈なデビューを飾った数日後だったと記憶している。同僚となった小山から、通話中の携帯電話を渡された。声の主は、松坂だった。

古畑を奮い立たせた電話「4年後プロで待ってるぞ」

「僕が試合に出ていなかったんで『古畑何してんだよ』って。『4年後プロで待ってるぞ』とも言われました。それを聞いた時に『よし、やらなあかん』って一瞬でなるんですよ。だけど、グラウンドに行くと気持ちが乗らずにしぼんでいく。それくらい、プロは目指せなくなっていました」

 葛藤と戦い続けた4年間だった。3年秋の東洋大学戦。「8番一塁」でようやく初のスタメン出場を果たすが、1打数無安打で途中交代。それからスタメンに名を連ねることはなかった。あの日、延長17回を戦い抜いた男は、一度も公式戦にフル出場することなく、ましてや神宮で安打すらも放つことなく大学野球生活を終えた。

 野球には未練があったが、希望した関東の社会人野球チームからオファーはなく、内田俊雄監督の紹介で、卒業と同時に明治神宮外苑に就職した。当時は軟式野球チームがあり、そこで2年ほどプレーしながら仕事を覚える日々。現在は野球場販売部の主任として、試合開催日の飲食、物販を統括する仕事に従事している。

 家庭に仕事に、毎日を忙しく過ごしていた2021年7月7日。七夕の日に、その背中を追い続けてきた松坂大輔の引退報道が流れた。その日は寝付けず、日が変わった朝の4時まで一人で酒をあおった。

【次ページ】 この世代が終わるんだな

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