野球のぼせもんBACK NUMBER
一浪して九州大→独立リーグで無双…熊本の24歳左腕が“ドラフト候補”になるまで 元ホークス・馬原監督「こんな有望な人材は日本中探しても少ない」
posted2022/09/26 06:02
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Kotaro Tajiri
名城・熊本城のすぐ近く、リブワーク藤崎台球場のバックネット裏座席にはNPB・7球団のスカウトが腰を下ろし、スピードガンを構えたり熱心にメモを取ったりしていた。
セ・リーグ某球団のスカウト氏が額の汗をぬぐいながら言う。
「ようやく来られましたよ。今年3回目かな。僕らも春は大学野球のリーグ戦や大学選手権、次は社会人野球の都市対抗予選と本大会、そして高校野球の地区大会と夏の甲子園を視察するというのが毎年の流れ。やっと独立リーグを見る時間がとれました」
NPB入りを目標とする全国の独立リーガーたちにとって、ようやく訪れたアピールの時期。その最中、8月26日の熊本では創立2年目の「ヤマエ久野九州アジアリーグ」の公式戦、火の国サラマンダーズ対福岡北九州フェニックスの一戦が行われていた。
プロ野球選手0人「九州大卒」の左腕
スカウト陣のお目当ては火の国サラマンダーズの先発マウンドに上がった無敗のサウスポーである。
芦谷汰貴24歳。
この日の先発を迎えるまで15試合(うち12先発)に登板して10勝0敗。防御率1.36をマークし、勝利数と防御率に加えて奪三振(92)でもリーグ1位と投手三冠に立っていた。
今年は芦谷にとって「ドラフト候補」として迎える2度目の秋になる。昨年、同じ左腕の隅田知一郎(西日本工業大学)が西武から1位指名を受けたが、福岡のメディアで隅田と同等か、あるいはそれ以上の大きさで扱われていたのが芦谷だった。
その大きな理由に、芦谷が今年3月まで九州地方における最難関・九州大学(以下九大)の学生だったことが挙げられる。九大出身のプロ野球選手は過去に1人もいない。それどころか、プロ志望届を出した野球部員すら昨年の芦谷が初めてだった。
「大学では工学部エネルギー科学科で原子力関係の研究室に所属していました。理系だったので周りには大学院に進む人が多くて。ましてや九大を卒業して本格的に野球を続ける人はいませんから」
高3時からNPB志望…なぜ九大に?
九大は九州六大学野球連盟に属し、春・秋のリーグ戦に参加している。想像に難くないように秀才軍団が強豪私学とまともに戦って勝つのは厳しい。
芦谷自身、大学通算勝利数は3勝止まりだった。それでもプロ選手も多く輩出している福岡大学(主な出身選手=梅野隆太郎・阪神)や九州国際大学(同=松山竜平・広島、川島慶三・楽天)から勝ち星を挙げた。
進路先はプロ一本。就職活動はせず、大学院進学という選択肢もまったく考えなかった。