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「こう見えても気が小さいんや」近鉄・鈴木啓示vs.阪急・山田久志。大エースが投げ合った44年前の意外なる“決戦前夜”の真相《伝説の藤井寺1978.9.23》

posted2022/09/23 06:01

 
「こう見えても気が小さいんや」近鉄・鈴木啓示vs.阪急・山田久志。大エースが投げ合った44年前の意外なる“決戦前夜”の真相《伝説の藤井寺1978.9.23》<Number Web> photograph by Snakei Shimbun

1978年9月23日の藤井寺決戦で投げ合った近鉄のエース鈴木啓示(左)と阪急のエース山田久志(右)

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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photograph by

Snakei Shimbun

   リーグ優勝を懸けた天王山を前にして、両エースは眠れぬ夜を過ごした。自身の怪我と迫りくる重圧。決戦当日、異様な雰囲気に包まれた満員の藤井寺でふたりはベンチに座る恩師の存在を感じていた。Sports Graphic Number1023号(2021年3月18日発売)の記事『[1978.9.23  藤井寺決戦の明暗]鈴木啓示vs.山田久志「孤高のマウンドと恩師の影」』を特別に無料公開します。

 土曜日の早朝、雨模様の藤井寺球場は異様な雰囲気に包まれていた。普段はガラガラの外野席へ開門と同時に近鉄ファンがなだれ込む。徹夜組は200人、球場周辺にはダフ屋が溢れていた。

 主役はのちに「悲運の名将」と謳われた近鉄の西本幸雄監督だ。かつて手塩にかけて育てた阪急が常勝チームとなり、低迷する近鉄へ移ってから5年。ようやく初優勝まであと1勝というところまでこぎつけた西本監督の歓喜を見届けようと、阪急ファン、近鉄ファンが藤井寺に押しかけたのだ。そして、ともに30歳だった2人のエースは、優勝を懸けた“藤井寺決戦”での先発が決まっていた。

阪急のエース・山田久志の決戦前夜

 プロ10年目、その時点で通算149勝を挙げ、3度の日本一を含む6度の優勝を経験していた阪急のエース、山田久志は左ヒザの痛みに悩まされて、眠れずにいた。

「あの試合はデーゲームだったから、前の晩は藤井寺近くの宿泊施設にいてね。3人部屋だったんだけど、相部屋の今井雄太郎と山口高志が気を遣って、他の部屋で時間を潰してくれていた。次の日は朝早いし、布団をかぶって寝ようとしたのに、でも、ヒザが痛くて寝られない。夜中になっても俺が起きているから、アイツらだって戻ろうにも戻れないんだよな。それならと2人を誘って大浴場へ行ったんだ。3人で風呂に入って、なんやかんやと喋ってたら、戻ってスッと寝られた覚えがあるな」

 一方、プロ13年目で20勝以上のシーズンが8度、この年もその時点で25勝、通算242勝を挙げていた近鉄の大エース、鈴木啓示もまた、眠れぬ夜を過ごしていた。

【次ページ】 近鉄のエース・鈴木啓示の決戦前夜

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