相撲春秋BACK NUMBER
“男 境川”親方がみた男の夢。
豪栄道全勝優勝と部屋設立の物語。
posted2016/10/11 07:00
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Kyodo News
9月秋場所千秋楽の夜、埼玉県境に近い足立区舎人の境川部屋。
その玄関先には祝いの一斗樽を前にして、紋付き袴に身を包んだ境川親方(元小結両国)の姿があった。夫人とともに、全勝優勝を果たした愛弟子――豪栄道が乗ったパレード車の到着を、今か今かと待ち受けていた。
残暑厳しく蒸し暑いなか、押すな押すなとばかりにひしめき合う地元の人々に向かって、
「みなさん、この酒飲んで行ってよ! あ、つまみはないから(笑)。それは家でそれぞれ作ってね」
境川親方の軽口に笑いの声が上がる。
「おお、来たぞ、来たぞ!」
白バイの先導でパレード車がゆっくりと近づき、歓声と拍手が沸き起こった。優勝旗を携えた愛弟子の姿が視界に入ると、親方は、いつのまにか硬く口を閉じ、神妙な面持ちになる。その光景を目の奧に焼き付けるかのように、じっと見つめ続けていた。
そして、しっかりと師弟が抱き合い、男泣きに泣く――期待された場面はなく、そっけないほどの軽いハグで、感動シーンは終わった。後日、親方も愛弟子も「目を見ると泣いてしまうから、あえて見ないようにした」と口を揃えていたが、この時のふたりの男の目には“こぼれ落ちない涙”が、それぞれに光っていたのだった。
「男 境川」「男 両国」の呼び名持つ、義理人情の人。
境川親方は、周囲に「男 境川」と呼ばれるほど男気に溢れ、義理人情に厚い(聞くところによると、現役時代も「男 両国」、日大相撲部時代も「男 小林(本名)」と呼ばれていたのだとか)。
実は、境川部屋の敷地内の日当たりのいい一角には、「吉の谷」の四股名を刻んだ石碑が建てられている。吉の谷とは、親方と同郷である長崎出身の、今は亡き出羽海部屋の元幕内力士の名前である。
稽古場にもその遺影は飾られ、力士たちの名札が番付順に掲げられている壁には、「功労人」の名目で「故吉の谷」の名前と、かつて親方の片腕となって部屋を支え、若くしてこの世を去ったマネージャーの名札も掲げられている。このふたりの遺影は、千秋楽の打ち上げパーティの席にも必ず飾られ、陰膳が据えられるのだった。