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「死んでもいい覚悟なんていらねぇんだよ!」葛西純はエル・デスペラードに何を伝えたのか? カメラマンが激写した“血と熱狂の23分30秒”
text by
原壮史Masashi Hara
photograph byMasashi Hara
posted2022/09/15 17:01
エル・デスペラードのマスクと顔面を切り裂く葛西純。激しすぎる両者の闘いに、国立代々木競技場・第二体育館は興奮のるつぼと化した
葛西は、自分が楽しむことをとことん追い求めるデスペラードに、危うさを見ていたのかもしれない。自分が楽しむための刺激を欲することを望むはずのデスペラードが「死んでもいい」という言葉を使うことは、外の世界を楽しめていないようにも受け取れた。バックステージで、デスペラードはこう漏らした。
「試合に向かうモチベーションと、趣味のゲームとかをやってる時だけ自分が保てて……。この試合がなかったら、俺、本当に、頭おかしくなるぐらい心やられてて……。それなのに、軽々しく『死んでもいい』とか……。まだ俺そんなレベルだったかと。自分の幼稚さに驚きました」
「もっと強くなって、またリングで会おうや!」
自分の楽しさを追い求めるデスペラードに多くのファンが惹かれていったように、楽しむことや刺激を受けることは、それが全て自分のためであったとしても決して1人だけで完結することではない。それは、死の危険と隣り合わせの中で全てを出し尽くす激闘が、見ている側にとって、そして戦っている双方にとって、生きる糧となり、生き甲斐になることとも重なる。
またこの楽しい刺激を交換するために、生き続けるためにリングに上がる。だから決して「死んでもいい」わけがない。死闘は、最高な瞬間に再び巡り合うために生き続ける力を授けてくれる。デスマッチは、死ぬためではなく、生きるためのものなのだ。
5月に受け取った薔薇はデスペラードの手によってドライフラワーになり、この日、葛西へと返った。
生きていれば、いつかまた巡り会える。再び互いにとって特別な試合となる機が熟した時、その薔薇はデスペラードのもとにやってくるだろう。
「死んでもいい覚悟なんて捨ててしまえ。死んでもいい覚悟なんていらねぇんだよ! そうすれば、お前はもっと強くなる」
葛西は最後にこう言ってリングを後にした。
「お互い、明日からも生き続けて、お互い、もっと強くなって、またリングで会おうや!」
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