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“史上最低の三冠王”と冷笑されたロッテ落合博満「1日80本のタバコをやめた」「信子さんとの結婚で変わった」天才の逆襲が始まった日
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byKYODO
posted2022/09/10 17:00
「落合博満は1985年が最も美しい」。打率.367・本塁打52・打点146と文句なしの数字で2度目の三冠王に輝いた85年シーズン
「3年目で首位打者、4年目で史上最年少の三冠王でしょ。最初は『太く長く』と言っていたけど、『1年でも長くやりたい』というようになったのは、やはり信子さんとの結婚が大きかったでしょうね。遠征の飛行機に一緒に乗ってくることもあったし、観に来た試合もよく打った」
1日80本吸っていたタバコもやめた
85年のシーズンは前年の暮れからはじまる。三冠王をブーマー・ウェルズ(阪急)に奪われ、年俸も現状維持となった屈辱の1年を終えると、かねてから交際していた信子さんと入籍し、世田谷に1億7000万円の豪邸をフルローンで購入した。月々140万円を49歳まで払う重圧と「かあちゃんを食わせる」甲斐性を自ら背負うと、堂々と「三冠王宣言」を掲げる。
それまで1日80本吸っていたタバコはやめた。試合が終われば居酒屋に直行し、ホカ弁を買って球場へ来るような食生活は、信子夫人によって栄養バランスが見直された食事が提供され、朝から白飯3杯の生活で体重は瞬く間に5kg増量。ライバルのブーマーや門田のように太ればホームランが増えるのでは? と信子夫人が漏らしたひとことで、落合の飛距離と野球界の歴史が変わったとも言われている。
「オチの身体は太いというよりぶ厚いんですよ。ふくらはぎから太ももにかけての下半身は天下一品。体幹も背筋も強くて、丸太のようでした」と語るのはロッテのトレーナーだった藤井秀通。師匠の河原田明とともに、落合の身体を日々ケアしてきた。
「あの年も左手首と腰。あとは左のアキレス腱に故障を抱えていてね。強靭な下半身は爆発的な力を生む反面、足底からアキレス腱、腰への負担も大きい。毎日のストレッチ、鍼や電気治療は欠かせませんでした」
85年の開幕は8試合で.414、5本塁打、11打点と前年失敗したスタートダッシュに見事成功。これは2月の鹿児島キャンプから「下半身ができるまではバットを振らない」という、いわゆるオレ流調整が奏功した結果だと北川は言う。
「一度もバットを振らないんですよ。キャンプ中盤までバッティング練習はせず、オープン戦でも1200gのマスコットバットでホームランを打ってた。ただ、この調整ができたのも稲尾(和久)監督との信頼関係があったからでしょうね。普通なら『なんで落合だけ?』ってなりますよ」
<こうして天才の最も美しいシーズンが始まった。ではそんな落合を当時のチームメイトやライバルチームの選手たちはどう見ていたのだろうか?>
《続く》
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