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“史上最低の三冠王”と冷笑されたロッテ落合博満「1日80本のタバコをやめた」「信子さんとの結婚で変わった」天才の逆襲が始まった日
posted2022/09/10 17:00
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
KYODO
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<落合自身2度目の三冠王は、シーズン前に宣言した上で成し遂げ、歴代延べ11人の達成者の中でも際立った数字を残した。当時の仲間、敵チームの司令塔の言葉から無双のシーズンを振り返る。>
■落合博満、3度の三冠王シーズン
1982年 三冠王 打率.325/本塁打32/打点99
1985年 三冠王 打率.367/本塁打52/打点146
1986年 三冠王 打率.360/本塁打50/打点116
1度目の1982は若さゆえの新鮮な苦味が瑞々しい。3度目の1986になると余裕と自信の熟成度が絶品だが、やはり最高傑作は1985だ。錆色の、閑古鳥が鳴く川崎のスタンドへ、修祓(しゅばつ)のようにバットを軽く祓えば、2つ3つとボールが金網を越えていく。落合博満は2度目の三冠王を獲った1985年が最も美しい。
打率.367、52本塁打、146打点の三冠に得点圏打率.492などの圧倒的な数字は、「低い数字で獲った史上最低の三冠王」と揶揄された82年に対してのカウンター。そこへ付随する愛と生活臭に師弟の絆、そしてプロとしての凄味が凝縮された1年なのである。
「やはり信子さんとの結婚が大きかったでしょう」
「落合以上の打者はいませんよ。特にあの年はネット裏から見ていましたけど、打ってほしいと思う場面では全部打った印象です。それぐらい凄まじい1年でした」
85年当時、ロッテオリオンズのチーム付きマネージャーだった北川裕司は、落合にとって数少ない同じ昭和28年生まれのチームメイトだった。
「僕とオチは2年だけ現役が一緒でね。オチがケガで二軍にいるとき、高円寺の寮でテレビ見ながら『プロに入ったのは間違いだったなぁ』なんてぼそっと言うこともありました。根は秋田の純朴な男で、冗談なんかも言い合ってね。ただ、野球だけは次元が違った。ボールを3回打つって言ってたからね。まずボールの内側をコン、次に中をコン、最後に外をカン!って。イメージの話だろうけど、あれは“3度打ち”というのかなあ」
親しく接する中で落合のキャリア設計が変わっていくのも感じたという。