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野村克也「落合がワシとダブってしょうがないんや」…ノムさんが45歳で“現役引退”を決断した夜「ざまあみろ、西武なんか負けてしまえ」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2022/09/08 17:17
1998年3月の日本ハム対ヤクルトのオープン戦で。試合前に談笑する落合博満と野村克也
「3000mの山に登ったら、3100mの山が見えた」
つまり、次は3100試合出場を目指すという宣言だ。すでに“救援捕手”と呼ばれフル出場はほとんどなかったが、その百戦錬磨のリードに若手投手は心酔し、幾度となく痛い目にあった日本ハムの大沢啓二監督は「あの男の頭脳にやられた。いまさらながら、恐ろしいヤツだ……」と敗戦後につぶやいたという。枯れかけた月見草、45歳の名捕手は今できることを受け入れ愚直にサバイバルしたが、終わりは呆気なかった。9月28日の阪急戦、チャンスの場面で自身に鈴木葉留彦を代打に出されて気持ちが切れ、ついに月見草の花びらも儚く散ってしまう。
「鈴木が遊ゴロ併殺になった瞬間、私は一塁側ベンチの隅にいて、胸のうちでどなりましたね。“ざまあみろ、見たか見たか、併殺じゃあないか。このおれに代打なんか出すから併殺なんだ。ざまあみろ、西武なんか負けてしまえ”と……」(『引退 そのドラマ』近藤唯之著/新潮文庫より)
その夜、男は引退を決意する。自チームの負けを願う自分は精神的にもう終わったと気づいたからだ。野村の80年成績は52試合、打率.217、4本塁打、14打点。11月15日、球団事務所で「もう一回生まれ変わってもキャッチャーをやります。理想を言えば頭の中はこのまま、体だけもう一回27年前に戻してくれないかという気持ちでいます」と引退会見を開いた。
『週刊文春』80年12月18日号では、「夢としては五十ぐらいまでやりたいと思ってたんです。せっかくかちえたポストを簡単に手放したくないという気持もあった」と素直に心情を吐露している。プロ生活27年、それでもなお野村はプレーし続けたかったのである。
<続く>
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