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「朝練でタバコは当たり前、 カンニングも頻出」不良サッカー部が高校日本一に… 土台は高圧的な〈指示、命令、思考停止〉からの脱却
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph byKyodo News
posted2022/09/11 11:00
2006年のインターハイで優勝した広島観音高校
「望月監督は厳しくてよく叱られたけれど、全てはサッカーに関してではなく日常生活についてでした。昔は先輩が後輩を説教して殴るようなこともありましたが、キャプテンがそれを禁止して洗濯なども含めて自分のことは自分でやるようになりました。それから強くなってきたんです。トレーニングも素走りはほとんどなく、終わってからも自主トレをしたくなるような内容でした」
「体罰等を徹底排除する校風」だった大学で
望月は、同じ静岡県内でエリートを揃えた伝統校にスピードや体力で対抗しても勝てないと考え、トレーニングではテクニックを中心に量より質を追求し、試合数も減らして公式戦へ向けてフレッシュなコンディション作りを意識した。こうして1986年度にはアデミール・サントス、澤登正朗、大嶽直人らを擁して全国高校選手権に初出場を果たすと、そのまま初優勝を飾るのだった。
さらに順天堂大学は、医療系とスポーツ系の学部が中心になっているので「体罰等を徹底排除する校風があった」(畑)という。先輩に殴られたり怒られたりしたことは1度もなく、ボールを使わない素走りのメニューも一切なかった。ある時監督が「あと100mのダッシュを10本やっておけ」と命じると、畑と同期で後に日本代表として長く活躍する堀池巧(現・順天堂大学監督)が即座に反論した。
「いや、もうトレーニングの中で十分に走りました」
堀池は、いつもリーダーとして部員たちに言っていた。
「絶対に最後に勝つのは質だ」
ライバル大学が《こんなに走り込んだ》という噂が流れてきても揺るぎなかった。
「大丈夫、オレたちは質を求めて来たから」
そういう環境で育って来たからこそ、畑は自身が指導者に転身すると、まず3つの信条を確立した。
(1)トレーニングは量より質(2)自主自立の精神(3)信頼と絆(コミュニケーション能力の向上)
順天堂大学を卒業して教員になると、最初の赴任先は廿日市西高校だった。しかし同校には8年間在籍したが、任された部活は輝かしい経歴を持つサッカーではなくバレーボール、卓球、バスケットボールだったので、この間は浜本総監督に頼み大河FCで週3回のペースで指導経験を積んだ。
風紀が乱れていた学校をどう勝たせていくのか
1997年には広島観音高校に異動し今度こそサッカー部の監督になるが、最初からボトムアップ方式を取り入れたわけではない。当時は専門誌をめくれば『強豪校がこれだけ走らされて強くなった』という記事が溢れていて、畑はそういう発想が大嫌いだったので日々考え続けた。
《もっとプレイヤーズ・ファーストで勝てる方法はないだろうか……》
実は畑が赴任した当時の広島観音高校サッカー部は、風紀が乱れていた。