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アルシンド「日本は僕にとって第二の故郷」“鹿島→ヴェルディ禁断移籍”のウラ話、J2甲府加入の息子を“100%本音”で語る 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2022/09/07 17:02

アルシンド「日本は僕にとって第二の故郷」“鹿島→ヴェルディ禁断移籍”のウラ話、J2甲府加入の息子を“100%本音”で語る<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

休日は趣味のサイクリングに精を出すというアルシンド(54歳)。日本サッカーへの愛は未だに絶大だ

「ファーストステージの成績が悪かったので(注:17チーム中16位)、チームの成績を引き上げるために呼ばれたんだと思う。短い期間だったけど、一生懸命プレーした。でも、最終的に上位に入れなかった(注:年間総合順位は15位)のは残念だった」

 ——その後は、フルミネンセなどでプレーした後、2000年、CFZ(当時リオ州2部)を最後に引退します。当時、まだ33歳でした。引退を決意した理由は?

「膝などを故障していたし、ブラジルと日本の両国でもう十分にプレーしたと感じたからだ」

 ——長男イゴールにもプロ選手になってほしいと思っていたのですか?

「いや、そういうわけでもない。本人の気持ちを優先した。そして、結果的にプロ選手になったんだ」

鹿島にも所属した息子イゴールは中国などを渡り歩いた

 イゴールは、1993年1月、リオで生まれた。父親が鹿島に入団したので生後すぐに日本へ渡り、3歳まで日本で生活した。父親よりもふっくらした顔立ちで、頭髪は豊かだが短い。彼のキャリアについて振り返ってみる。

 1996年6月末、家族と共にリオへ戻り、地元のアマチュアクラブでプレーした後、12歳でCFZのアカデミーに入団した。

 得意なポジションは、左ウイングとCF。基本技術がしっかりしており、ドリブルが得意で、右足から強烈なミドルシュートやFKを放つ。ただし、強引なまでの突破と並外れたゴールへの執念を見せた父親とはタイプが異なる。

 2011年1月、18歳でかつて父親が活躍した鹿島アントラーズとプロ契約を結ぶ。親子二代にわたって鹿島でプレーするのは初のケースだったが、2試合に出場して無得点だった。2012年1月、ブラジルへ帰国してフラメンゴのU-20に加わり、Bチームを経て2014年、トップチームへ。ここでも親子二代にわたっての在籍で話題を集めたが、5試合に出場して無得点だった。

 翌年、サンパウロ州の中堅クラブ、ブラガンチーノへ期限付き移籍し、13試合に出場して無得点。2017年8月、香港リーグの大埔へ移籍した。2017-18シーズン、27試合に出場して17得点16アシスト。翌シーズンも31試合で12得点21アシストと活躍して、リーグ優勝に貢献した。

 2019-20シーズンは香港の富力でプレーし、24試合に出場して13得点17アシスト。2019年の香港年間最優秀選手に選ばれた。昨年は中国2部の梅州客家に在籍し、33試合で6得点11アシストを記録して1部昇格に貢献した。

イゴールの性格についてはどう思う?

 ——イゴールの性格とプレースタイルをどう思いますか?

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