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「羽生結弦くんを中心に撮ろうとあの時、決めました」10年以上撮影のカメラマンが語る転機となった1枚「あの瞬間、私はソチ五輪を撮れた!と…」
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph bySunao Noto(a presto)
posted2022/08/30 18:08
10年以上にわたって羽生結弦を撮影してきた能登直と『Number』で撮影を続けてきた榎本麻美が「被写体としての羽生結弦」について語り合った
この空間、どーんと、ここまであけるんだ
能登 広告のラフの癖なんですよ。広告写真はデザイナーさんが「こういうイメージで」という下絵(ラフ)があって、現場でそれを撮るというのをアシスタントの頃から続けてきているので、その構図に当てはめるのが気持ちいいんです。だから、フィギュアを撮りながら、手の向き方とか顔の向き、被写体が近いか遠いかで、こう撮ればまとまるな、どの空間をあけたら誌面で使いやすいかな、と判断して撮っていますね。
榎本 「この空間、どーんと、ここまであけるんだ」とか見ていて新鮮ですね。競技写真ですけど、作る絵がキレイだと思って見ています。こういう写真だとデザイナーさんも文字が乗せやすいのかな、と。「広告のラフの癖」というお話がありましたが、能登さんはもともと広告写真を多く撮られていたんですよね?
能登 1999年6月に地元の仙台で広告カメラマンのスタジオでアシスタントとして働き始め、広告写真をメインに撮ってきました。2005年に独立して、2006年に金メダルを獲得した荒川静香さんが仙台でアイスショーをやるというタイミングで撮影の機会があり、フィギュアスケートに触れたのがきっかけでした。その後もショーなどの撮影を続け、同じ仙台出身の結弦くんに出会い、今に至ります。榎本さんはどういうきっかけで、今の仕事に?
榎本 子どもの時からなんとなくスタイリストの仕事に憧れがあって、高校生の時も服飾系に進もうと思っていたんです。雑誌を見るのが好きで、撮影者のクレジットとかを見て、「このカメラマンさんが好き」とかチェックしていた学生でした。当時、携帯で写真を撮っていたら、それを友達が褒めてくれて、やりだしたら写真のほうが面白くなっちゃって。スタイリストをやりたいというより、写真のページを見るのが好きだったんだと思います。高校卒業後は服飾ではなく、写真のことを学べる大学へ行き、今の会社に入り、そしてスポーツの撮影を頼まれることが多くなり……という流れです。私の話はこれくらいにして(笑)、そろそろ2枚目にいきましょうか。能登さん、どうぞ。
<#2へ続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。