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「ヤカンの水をかけて…今なら本当にダメ(笑)」「僕、1回逃げ出したことが」前園真聖と松井大輔が忘れない“鹿実での地獄な青春”
text by
粕川哲男Tetsuo Kasukawa
photograph byMasakazu Yoshiba
posted2022/08/11 11:03
鹿実時代のユニフォームを持つ松井大輔と前園真聖
練習、なんとなく知ってましたが…行ったら地獄(笑)。
前園 それじゃ、練習がすごく厳しいとかは全然知らなかったの?
松井 なんとなくは知ってましたけど……。いろんなチームを見て、いい先輩がいないと面白くないなって思ったんです。見本になるような人がいないと。ヤットさんもいたし、2コ上の人たちはみんな強かった。鹿児島の人ってデカいじゃないですか。180cmくらいあって、ムキムキ。そういう人はなかなかいなかったんで、面白いなと思って。もともと中学校の先生にも「高校はフィジカルだよ。技術うんぬんじゃない」と言われていたんで、鹿実しかなかったわけですよ。自分が見たなかで一番強そうな高校は。
前園 うんうん。
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松井 行ったら地獄でしたけどね(笑)。
前園 大輔の頃、厳しいトレーニングと言えば何があったの。男女共学で、グラウンドも近くにあったわけでしょ。合宿は?
松井 3部練習ですよね。
前園 地獄の3部練。そこは一緒なんだ。「ダッシュ期間」は?
松井 ……いや、毎日ですよ。
前園 何、毎日って? テスト期間にボール使わないで、ゴールラインからゴールラインまで何秒以内で走るっていうやつは?
松井 あぁ、それはゾノさんの時代ですよ。
前園 ほら。やっぱり違う。
松井 僕らの頃は、もうちょっと近代化というか(笑)。
前園 質がともなっているわけね。
松井 走る距離が決まっていましたから。400m×5本とか。1000m、800m、600m、200mか、3000m。
前園 ちゃんとインターバル入れて。