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告白して玉砕すること6回、14年の恋物語の結末は?「僕がヒダカになる」還暦ボートレーサー日高逸子を支える“理想のパートナー”
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byItsuko Hidaka
posted2022/08/12 11:03
14年の歳月を経て結実した日高逸子と夫・邦博の恋物語。パートナーの献身的なサポートが、ボートレーサーとしての活躍の原動力になっている
平成8年8月8日、末広がりの日を選んで婚姻届を提出。この時から姓も「井上」から「日高」に変わり、邦博は妻を支える夫になると決意した。専門学校で出会ってから14年。長い長い恋物語はついに結実し、時代を先取る“婦唱夫随”の結婚がスタートした。
夫が支え続けた「勝負師」の生活
仕事を辞めて、専業主夫となった邦博だったが、日高が翌1997年3月に長女を出産し、2カ月半後にレースに復帰してからは目が回りそうな毎日だった。ボートレーサーはレース開催前日の検査からレース終了までの概ね1週間、食事も含めて施設内に缶詰めにされ、携帯電話もパソコンも持ち込めない。この間、留守宅では邦博が、冷凍保存してある母乳を湯煎で戻して3時間おきに長女に授乳し、オムツを替え、一切の子育てを担当した。離乳食も健診も、公園デビューも邦博がこなした。
復帰4戦目で日高は優勝した。その時のことをこう述懐する。
「出産してまさかこんなに早く優勝なんて。ツキもあったと思うけど、家族の存在が大きかった」
独身時代は、優勝してもわびしさと孤独感があった。家に帰ると、いつも独りぼっちで、心から喜びを分かち合う人がいなかった。今は違う。勝っても負けても、家族がいる。
レースが終わり、電車に乗って駅に着くと、夫と子どもが笑顔で温かく迎えてくれた。味わったことのない幸福感が、大きなエネルギーになっていた。
1999年7月には次女を出産。その3カ月後にはレースに復帰し、翌2000年の獲得賞金は2000万円を突破、2001年には3700万円を超え、出産してもトップクラスで活躍できることを改めて証明した。
日高にとって邦博はかけがえのない存在だ。酒好きの日高とは対照的に、邦博は酒もたばこもギャンブルもやらない。日高のスケジュール管理と賞金や経費の帳簿作成を完璧にこなし、娘たちの弁当を15年作り続けていた。もちろん学校や塾の送り迎えを欠かしたこともない。家族を守るために2001年に始めた空手は5段。今年6月にあった九州地区総合演武大会では準優勝を飾った。