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「そんなこと、できるんですか?」清原和博が甲子園100回大会に向けた特別な思い「息子が生まれたとき、この子が高1になったら…」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/07/30 17:02
2016年に覚醒剤取締法違反で逮捕され、執行猶予中だった清原和博(2018年撮影)
清原は時折、思い出したようにいくつかの錠剤を取り出して口に入れた。
「薬物への欲求を抑えるために薬を飲むんです。そうすると鬱病になる。ぼくは覚醒剤の量も半端じゃなかったので、鬱の症状も重いらしいんです」
日に4度の錠剤によって衝動を抑えているのだという。
「薬を飲むと何もやる気が起こらなくなるんです。気持ちが沈んで死にたくなる……」
清原は自分で何かを望むことすらできなくなっていた。その眼はいつも凪いだようで感情が見当たらなかった。
約束の木曜日が来るたび、私は白い壁の店で清原と向き合った。独白は淡々と進み、夏が過ぎて秋になった。季節の移ろいとともに私の足取りは重くなっていった。
私を何よりも憂鬱にさせたもの
そうなった要因はいくつか考えられたが、そのうちのひとつは渋谷という街への嫌悪感だったかもしれない。地下鉄の改札からハチ公口へと上がる階段はいつも人であふれ、誰かの肩にぶつからずには歩けなかった。無数の苛立ちが天井の低い地下通路に充満していて息苦しさを覚えた。ようやく上りきると、広場にはあてもなく何かを待っているような人群れが滞留していた。その光景を目にするたび、この街には何かがあるようでじつは何もないのではないか、という気持ちになった。
ただ何よりも私を憂鬱にさせたのは、光のない清原の眼差しであり、小刻みに震える指先であり、その後ろ姿だった。
独白を終えると清原はいつも現役晩年に手術したという膝をさすりながら席を立ち、部屋を出ていった。突き出た腹部とは対照的に背中は丸く縮こまっていた。空気の抜けたボールのように萎んだ尻の上でダブついたジャージが風に揺れていた。私はその後ろ姿を見送るたび、この先にあるのは闇だけなのではないかという憂鬱に襲われた。
向かい合って言葉を交わすたび確かに私は清原の内面に近づいていたのかもしれない。
ただ、その実感はまるでなく、むしろ近づけば近づくほど輪郭はぼやけ、あの新幹線の車窓から見た光は遠ざかっていくように感じられた。やがて私は約束の日が来るのを怖れるようになっていった。
そんな空気がわずかにせよ動いたのは2017年の冬だった。吐く息が真っ白になる、ある木曜日のことだった。その日は高校時代の述懐をしていた。甲子園での日々を振り返る清原はいつもより少しだけ言葉が多かった。そのためだろうか、私は話の合間に何気なく余談めいたことを口にした。
「そういえば、次の夏は甲子園100回大会ですね」
テーブルを挟んで向かい側に座っていた清原は「ああ……」と、忘れものを思い出したように顔を上げた。それきり何も言わず、手元をじっと見ていた。
そして、しばらくしてからポツリと口を開いた。