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「おれ、やっぱりキヨハラが好きなんだよ」編集長のひと言から始まった清原和博を巡る旅「罪を犯した。でも、今までやってきたことがなしになるのは…」
posted2022/07/30 17:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
ベストセラー『嫌われた監督』で大宅賞、講談社ノンフィクション賞、ミズノスポーツライター賞の3冠受賞を果たした作家・鈴木忠平氏の待望の新刊『虚空の人 清原和博を巡る旅』より一部抜粋してお届けします。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
構内アナウンスが発車時刻を告げていた。私は鳴り響くべルの音を聞きながら、夜の三河安城駅を走っていた。ホームに横たわった車輛に身体を滑り込ませるのと、ドアが閉まるのとはほとんど同時だった。午後8時44分、東京行きの最終列車こだま684号は動き出した。2016年8月終わりの、ある夜のことだった。
車内は空いていた。私は窓際の席に腰を下ろすと、呼吸を整えるためにひとつ息をついた。シートにもたれるとポロシャツの背中がじっとりと湿っているのを感じた。陽が落ちても気温は一向に下がらず、背筋を流れ落ちるような汗は熱帯夜の中を走ったせいだった。ただもうひとつ体温を上げている要因があるとすれば、それは胸の内の微かな高揚感だった。
その夏、私はまだ会ったことのない人物を巡って旅をしていた。清原和博――野球界のスターであり、この国でほとんど知らぬ者のいないホームランバッターはこの年の2月、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕されていた。
その直後から私はかつての英雄について取材を始めた。清原が高校時代に甲子園で放った13本のホームランと、それらを打たれた投手たちを辿っていった。彼らに当時の記憶やバッター清原との交錯が人生にもたらしたものについて訊き、契約している雑誌に原稿を書いた。
初夏に書いたそのルポルタージュは書籍化されることになり、私はそのためにもう一度、甲子園で清原に敗れた男たちのもとを巡ることになったのだ。
なぜか、あのころのことはよく憶えているんです
この日、三河安城駅の近くで会ったのは村田忍だった。かつて愛知県の強豪・享栄高校のエースだった人物だ。
「もう30年も前のことなんですけど……。なぜか、あのころのことはよく憶えているんです」
村田は言った。もう白球を手放し、地元の企業に勤める50歳の父親になっていた。どこの地方都市にもあるような小さな喫茶店でコーヒーを口にしながら彼が語ったのは、1984年夏の甲子園の残像だった。初戦でPL学園と対戦し、清原に大会新記録となる1試合3本のホームランを浴びたゲームのことだった。そこから、入学当時はとてもエースになれそうもなかった自分のこと、エースナンバーを奪い合ったライバルのことへと記憶は繫がっていった。その瞬間だけ村田は球児に戻っていた。
そして別れ際に村田は打ち明けた。誰にも言ったことのない過去――20歳の秋、会社に勤めながら誰にも告げずにプロ球団の入団テストを受けた。西武ライオンズの清原が日本シリーズ優勝目前で涙を流したその年の晩秋のことだった。一次は通過した。それなのに二次テストを終えたとき球団関係者に告げたという。
「ぼくは次のテストにはもう来ません」