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J1清水加入「ピカチュウ」30歳の苦労人ぶりが泣ける 「最初は嫌だった。本名で呼んでほしい」も“ポケモン愛称”を受け入れたワケ
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byLeonardo Fernandez/Getty Images
posted2022/07/23 17:01
J1清水に加入したピカチュウ。その名前が注目されがちだが実力者だ
13歳のとき、地元のパイサンドゥ(当時ブラジル3部)のU-13に入団。彼と一緒にトゥナ・ルーゾから来た選手が2人おり、彼らが「ピカシュウ」と呼ぶのを聞いて、ここでもそれが通り名となった。
「人生で最もつらかった」と本人が振り返る出来事
当時、「人生で最もつらかった」と本人が振り返る出来事があった。
2008年、16歳でU-17に所属していたとき、サンパウロ州の中堅クラブの入団テストを受けるよう手引きしてくれた人がおり、チームメイトと2人、バスで2日半かけてクラブの練習場まで行った。しかし、結果は2人とも不合格。すると、この入団テストをアレンジしてくれた人物が消えてしまった。さらに2人とも全く金を持っていなかったので食事ができず、泊まるところもなく、町の広場で野宿した。
翌日、チームメイトが父親へ電話をして二人分のバスのチケットを手配してもらい、ほうほうのていでベレンへ戻った。
以後は、パイサンドゥでプロになるしかないと考えて練習に励み、2012年初め、19歳でトップチームに昇格した。
その際、クラブ関係者から「『ピカシュウ』はあまりにも奇抜な名前だから、別の呼び名にした方がいいのではないか」と持ちかけられた。しかし、今度は本人が「もうこれだけ長い間、みんなからそう呼ばれているのだから、このままでいい」と断わった。
この年、ブラジル3部で19試合に出場して6得点。DFでありながら極めて攻撃的なプレースタイル、温厚で飾らない人柄、そして誰でもすぐに覚える名前も手伝って、チームきっての人気者となった。
右サイドで攻撃を組み立て、美しいゴールも決めたので、地元メディアから「ロナウジーニョのようなプレーをする」と評されたこともある。
2016年、かつてロマーリオ、ベベットらが活躍したリオの名門バスコダガマへ移籍。ここでも、すぐにレギュラーポジションを獲得した。
現清水監督との出会いで新境地を開拓
このチームで2017年8月から2018年6月までの10カ月間、采配を振るったのが、今年6月、清水エスパルスの監督に招聘されたゼ・リカルドである。
2017年前半、ピカシュウは選手としての正念場を迎えていた。当時は専ら右SBとしてプレーしていたが、元U-23ブラジル代表の右SBが加入し、ポジションを失ったのである。しかし、ゼ・リカルド監督は彼の攻撃力を高く評価し、右MFや右ウイングとして起用。そのお陰で、選手としての新境地を開拓した。