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「貧民街育ちで銃撃戦が日常」「酒乱で恋人を木に縛りつけ」皇帝アドリアーノの“実は親思い秘話”… 引退後40歳の今、何してる? 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byNaoya Sanuki

posted2022/07/18 17:00

「貧民街育ちで銃撃戦が日常」「酒乱で恋人を木に縛りつけ」皇帝アドリアーノの“実は親思い秘話”… 引退後40歳の今、何してる?<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2005年コンフェデ杯のアドリアーノ。稀代の問題児は40歳になった今、どうなっている?

 父アウミールさんが心臓発作で急死したのである。若い頃、自宅近くの銃撃戦で流れ弾が頭に命中し、以後、度々体の不調を訴えていた。アドリアーノは悲嘆に暮れ、眠れない夜が続いた。

 それでも、1週間後、欧州チャンピオンズリーグ予選3回戦のバーゼル戦(アウェー)に先発。前半19分、ゴール前でパスを受けると、マーカー2人を引きちぎり、GKもかわし、利き足ではない右足で蹴り込んだ。

 このときのアドリアーノに、笑顔はなかった。上空を見上げながら両手の人差し指を突き上げ、天国の父にゴールを捧げた。以来、ゴールを決めるとこのポーズを繰り返した。

落ち込んだ気持ちを酒で紛らわすように

 04-05シーズン、アドリアーノは42試合に出場して28得点というキャリアハイの成績を残す。シーズン終了後、ドイツで行なわれたコンフェデレーションズ・カップでも5ゴールをあげて得点王。ブラジル優勝の立役者となり、MVPに選ばれた。翌シーズンも、47試合で19得点とまずまずだった。

 ところが、父の死から時間が経過しても、喪失感は鎮まるどころか逆に高まっていった。

「子供の頃からずっと、自分を支えてくれる家族のためにプレーしてきた。父が亡くなってからは、プレーする意欲が薄れてしまった」

 鬱病に近い状態となり、落ち込んだ気持ちを酒で紛らわすようになった。

 2006年のW杯に招集され、ロナウド、ロナウジーニョ、カカと共にクアルテット・マジコ(魔法のカルテット)を形成。優勝の原動力となる活躍を期待された。

 しかし、GSの最初の2試合に先発して1得点を記録したものの、本来の野性的なプレーは影を潜めていた。GS最後の日本戦ではベンチに座ったまま。ラウンド16のガーナ戦でゴールを決めたが、準々決勝フランス戦は後半途中からの出場で不発。チームは敗退した。

 06-07シーズンは、酒浸りとなって練習への遅刻や不参加が続いた。ジョゼ・モウリーニョ監督から厳しい叱責を受けたが、私生活は乱れたまま。07-08シーズンに至っては、わずか4試合の出場に留まった。

3度にわたる「セリエAワーストプレーヤー賞」受賞

 イタリアのラジオ局が選定するビドーネ・ドーロ(金のゴミ箱。セリエAのワーストプレーヤー)を2006年から2年連続で受賞する屈辱も味わった。

 07-08シーズンも不調だったが、2008年前半に母国のサンパウロへ貸し出されると一時的に復調した。しかし、インテルに復帰した08-09シーズンは不振に逆戻り。2009年5月、ついにインテルから戦力外通告を受けた。

 古巣フラメンゴが彼に手を差し伸べ、2009年はブラジルリーグで19ゴールを記録して得点王に輝いた。

 その一方で、ピッチ外ではトラブル続きだった。

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