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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
ブラジル代表屈指の「品行方正な10番」カカ40歳は今何してる? 引退後モデルの女性と再婚…「フットボールと学業の両立」大使も
posted2022/07/18 17:01
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Naoya Sanuki
アドリアーノのように貧困家庭に生まれ、突出した才能を持ちながら問題を起こし続けた選手とは対照的に、ブラジル人選手でも裕福な家庭で育ち、品行方正で、おまけにルックスにも恵まれた者が——数は少ないが——存在する。
その1人が、元ブラジル代表MFレオナルドである。
リオデジャネイロの中流階級の出身で、1987年から2003年までフラメンゴ、サンパウロ、鹿島アントラーズ、ACミランなどでMFとして活躍。ブラジル代表にも選ばれ、1994年ワールドカップ(W杯)で優勝、1998年大会で準優勝した。現役引退後は、ACミラン、インテルなどで監督を務め、2019年からパリ・サンジェルマンでスポーツディレクターの任にある。
このレオナルドと同様、恵まれた家庭で育ち、選手としてはさらに高いステージへ到達した男がいる。
リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ、40歳。アドリアーノより2カ月だけ遅く生まれた。弟が幼い頃に「リカルド」と発音できず、「カカ」と呼んだことから愛称となり、フットボールネームともなった。
中盤でボールを受けると、爆発的な加速でマーカーを引きちぎり、GKの位置を確認して強烈な、あるいは技ありのシュートを決めた。超人的なテクニックがあるわけではないが、ドリブル、パス、シュートのすべてが一級品。状況判断が的確で、主役になることも脇役になることもできるエレガントな選手だった。
父親がエンジニアで、母親は教師
父親がエンジニアで、母親は教師。首都ブラジリアで生まれたが、8歳のとき父親の転勤でサンパウロへ。一家は高級住宅地に住み、名門サンパウロFCの総合スポーツ部門の家族会員となった。
10歳のときサンパウロFCのスクールに入り、抜群の技量を発揮する。13歳のときコーチに勧められてプロ選手養成機関であるアカデミーのU-13の入団テストを受けて合格した。
ブラジルでプロ選手を目指す子供の大半は貧困家庭の出身で、中流家庭の子弟は例外的だ。母親はカカが仲間外れにされたり苛められたりしないよう、練習の後にチームメイトを自宅へ招いた。お菓子やジュースを振る舞い、「うちの子と仲良くしてね」と頼み込んだという。
当時のコーチは、「技術的には良いものを持っていたが、小柄で痩せていたため能力を発揮できないでいた。U-13でもU-15でも常に控えかそのまた控えだった」と証言する。16歳になってから筋力トレーニングを始めると、その効果が出て当たり負けしなくなった。
18歳の時に襲われた重大なアクシデントとは
ところが、18歳のとき重大なアクシデントに見舞われる。