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本郷理華25歳が明かす、五輪落選から“空白の1年半”…宝石店バイトで気づいた「スケートじゃなくても頑張ったら生きていける」

posted2022/07/23 11:03

 
本郷理華25歳が明かす、五輪落選から“空白の1年半”…宝石店バイトで気づいた「スケートじゃなくても頑張ったら生きていける」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

昨年6月に現役引退を発表、今年1月に引退セレモニーが開かれたフィギュアスケーターの本郷理華さん。現役時代のすべてを振り返るロングインタビューです

text by

荘司結有

荘司結有Yu Shoji

PROFILE

photograph by

Shigeki Yamamoto

昨年6月に現役引退を発表したフィギュアスケーターの本郷理華さん。平昌五輪の出場権を逃し、2019年4月から1年5カ月の休養を経て、最後のシーズンに輝きを取り戻した。

休養中にはジュエリーショップで働いていたことも話題に。引退発表から1年が経つ今、知られざる“空白の1年半”を振り返るとともに、コーチや振付家として活躍する現在を語った(全3回の3回目/#1#2から続く)。

五輪の夢破れて「このままスケート続けたって意味ないよ」

――中編では、平昌五輪の選考を振り返っていただきました。代表切符には届かず、19年8月に休養を発表しましたが、この間にはどんな思いがあったのでしょうか?

本郷理華さん(以降、本郷) 五輪出場という夢を叶えられなかった反省を生かして、また4年計画で頑張ろうとも思っていたんです。でも、左足がまた痛みだして、色々と上手くいかなくて、リンクに行くのが辛くなったんですよね。

 全日本選手権のあとは1~2週間くらいリンクを離れました。人生で初めてスケート靴を持たないまま仙台でお正月を過ごして。アイスショーのための練習はしていたけれど、気持ちが入りきらないままでした。

――張り詰めていた気持ちがプツンと切れた感覚でしょうか?

本郷 気持ちと身体が噛み合わず、「このままスケート続けたって意味ないよ」とかどんどん悪い方向に考えるようになり……。私って周りのことはポジティブに考えられるのに、自分のことになるとネガティブなんですよね。このままではダメだと思ったので、関(徳武)先生に相談してカナダに行くことにしました。

――なぜカナダに行こうと思ったのでしょう?

本郷 シェイ=リーン・ボーンさんに振り付けしてもらったとき、初めてカナダで練習したんです。それがすごく楽しかったんですよね。先生や選手も明るくて開放的で、すごくいきいきとしていて……。こんなスケートの仕方もあるんだって身をもって実感しました。

 休養前にカナダに行ったときも、日本では全然ジャンプができてなかったのに、アクセルもサルコーも跳べるようになって。先生も自由に練習させてくれたので、スケートが楽しいなっていう気持ちを思い出せました。

――スケートを楽しめるようになったのに、なぜリンクを離れようと思ったのでしょうか?

本郷 楽しむ気持ちが戻っていた一方で、「このままでいいのだろうか」というネガティブな思いも完全に消えていなかったんです。大学も卒業して、普通なら働いている年齢ですし、世界でトップにいたら続けようとも思えたけれど、調子も落ちていましたから。

 あるタイミングで「プツン」と糸が切れました。新しいプログラムもあったけど、こんな調子で見せたくないなと。せっかく好きなプログラムが嫌いになっちゃいそうで、先生に「辞めるつもりで休みます」と伝えました。

休養宣言「滑らなくなったら自分には何もない」

――そして休養を宣言されます。後に、この休養期間にジュエリーショップで働いていたことが話題になりましたよね。なぜ働こうと?

本郷 滑らなくなったら自分には何もないなと思って。もうスケートには戻れない気持ちになっていたので、リンクから離れて生きていくためにどうするか考えたんです。バイト経験も無かったから、とりあえず働いてみようと思いました。

――自分で職を探して?

【次ページ】 「履歴書を書くのも初めてでした」

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