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プロ野球PRESSBACK NUMBER
ヤクルト塩見泰隆の“天然エピソード” 社会人野球の名門と交渉時に…大学時代の監督「あいつ、ガソリンスタンドで働くと思っていたんです」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNanae Suzuki
posted2022/07/08 11:02
帝京大時代の恩師が明かす、ヤクルト塩見泰隆の天然エピソードとは
塩見が高校球児のように泣きじゃくった日
俊足を武器に1年時から頭角を現した塩見は、2年生になるとレギュラーに定着。1番打者を担った3年春のリーグ戦では、打率.279、11盗塁と活躍した。試合になるとさらに目の色が変わる。根っからの負けず嫌い。たとえ自身が3安打2盗塁したとしても、チームが負けると悔しさをあらわにした。
「負けたら意味がない、って塩見はよく言ってましたね。特に下級生のころは、自分のせいで負けたと自分を責めることもあった。いつだったか、東海大との大事な試合でライトを守らせていたんですが、タイムリーエラーしたことがあったんです。ランナー1塁でライト前の当たりを取って、ノーバウンドで三塁の奥のフェンスにぶち当てるくらいの悪送球。ランナーが生還してそれが決勝点で負けた。ベンチ裏で高校球児のように泣きじゃくっていたのが印象に残っています」
3年生時のある試合では、1死満塁の大チャンスに打者の塩見がサードゴロゲッツーに倒れて敗れたことがあった。1塁でアウトになった直後、ヘルメットを地面に叩きつけて悔しがったことで、連盟からは注意を受けた。審判の判定に不服を示した態度と受け取られたからだ。
「そんなこと許しちゃダメなんですが……でも僕は少し嬉しかったんです。あそこまで悔しがる選手はいませんでしたから。試合が終わって寮に帰ってからは全員の前で“ああいう態度をとってすみませんでした”と謝っていました。ただし、それ以降は走塁でアウトと言われたら、態度には絶対に出さずすぐにベンチに戻って来い! と口酸っぱく言いましたけどね」
進路交渉時にも…監督を驚かせた“天然発言”
心技体とも成長を遂げた塩見だが、大学4年時にプロ野球の球団からの調査書は届かなかった。一方で、社会人野球からも声はかからず、唐澤監督は大いに気を揉んだという。
「心配で心配で、塩見に“就職どう考えてる?”って聞いたら、“僕ならどこでも行けるっしょ!”って(笑)。おいちょっと待て、どこからも話が来てないぞ、どうすんだ、っていう感じでしたね」
社会人野球のレベルの高さを塩見に体感させようと、千葉県船橋市にあるNTT東日本の練習場まで連れていき、練習参加させたこともある。