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古いアルバムに残る「23歳オシムと着物姿のアシマ夫人」サラエボの葬儀に参列した記者が聞く、“半世紀”を超える日本との深い交流とは 

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/06/13 17:03

古いアルバムに残る「23歳オシムと着物姿のアシマ夫人」サラエボの葬儀に参列した記者が聞く、“半世紀”を超える日本との深い交流とは<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2022年5月1日、80歳で逝去したイビチャ・オシム。日本との深い関わりを家族が明かした

 葬儀の翌日、サラエボの彼の自宅(現在は長女のイルマが娘のセリアとともに住む)を訪ねると、たくさんの人形が居間に飾られていた。

「母に対するお土産ということでは、父はいつも人形を持ち帰りました。ここにある人形がすべてそうですが、彼は世界のどこに行っても何かを買ってきました。これはフランスでこれはオランダ。伝統衣装に身を包んだものです。そしてこれが、東京五輪のときに買ってきたものです」

 そう言ってイルマが棚の奥から取り出したのは、ひとつの日本人形だった。

「東京のお土産がこれです。こちらは京都のものなのかもしれませんが……、日本のものはいろいろあって、コレクションは本当に充実しています。これはハローキティですね(笑)。(別の人形を手にして)これはずっと古いものです。両親は伝統的なものを見つけると、記念に持って帰りました。よくわからないから母に聞いてみましょう。

『ママ……!!』

 直ぐ来ます。彼女が説明してくれます」

 オシムが遠征先でお土産として買い求めるのは趣味のいいものばかりで、そのうち他の選手も彼を真似るようになった。彼らは一緒に買い物に出かけては、オシムが買っているものに目をとめて、同じものを買うようになったという。アシマ夫人が説明してくれた。

「ここにあるすべての人形はイバン(・オシム、イビチャの正式名)が旅行したときのお土産です。私のために買ってきてくれました。すべてに思い出がつまっていて……。これは札幌のものです」

 札幌とは、2002年日韓ワールドカップの際に、FIFA技術委員として札幌と仙台のゲーム分析を担当したときのことなのだろう。感慨深げに人形を眺める夫人は、まさかその1年後に自分が夫とともに日本に住むことになるとは、想像もしていなかったのだった。

アルバムに残る「着物姿のアシマ夫人」

 続いてイルマが見せたのは古いアルバムだった。結婚式のときの写真や兄弟や両親とともに写っている写真、幼い子供たちとくつろぐ写真……。オシムも夫人もとても若い。若さが発散する生気とエネルギーに溢れ、特に夫人が輝いている。イルマが指さしたのは、オシムの隣で夫人が日本の着物を纏っている写真だった。

「この着物はご存じでしょう。東京五輪の際に父が母のために買ったものです。五輪の翌月、11月19日にふたりは結婚しました。父が23歳、母は22歳でした」

【次ページ】 東京五輪で日本からゴールを奪った

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