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“父は元サッカー日本代表”永島優美が極度の人見知りからフジの看板アナになるまで「とにかく脚が震えて、声も震えて…」

posted2022/06/04 11:04

 
“父は元サッカー日本代表”永島優美が極度の人見知りからフジの看板アナになるまで「とにかく脚が震えて、声も震えて…」<Number Web> photograph by Miki Fukano

「めざまし8」「ジャンクSPORTS」などを担当する永島優美アナウンサー。元サッカー日本代表の永島昭浩を父に持ち、「アスリート2世」として生まれた知られざる幼少期とは

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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Miki Fukano

アスリートのような体力と精神力を必要とされるアナウンサー――。元サッカー日本代表の永島昭浩を父に持ち、極度の人見知りだった幼少期を経て、永島優美はフジテレビの看板アナとなった。念願のアナウンサーになるまで、そしてその職業観について話を聞いた(全3回の3回目/#1#2から続く)。

 アナウンサーという仕事は、視聴者が見る華やかさとは裏腹に、体力や精神力を必要とするプロフェッショナルな仕事だ。この日、午前8時からの『めざまし8』の生放送を終えたばかりの永島さんは、「今日は午前4時起きです。でも、めざましテレビ時代は、午前2時だったので全然ラクですね」と笑顔でサラっと答えてくれた。

「喋る仕事をしよう」と思い立った日

 2014年、永島優美さんは、アナウンサーとしてフジテレビに入社した。極度の人見知りだった幼少期に母の勧めでダンスを習い、学生時代にはチアリーディング部に入って、人前に出て、笑顔で表現することを学んだ。

 大学生になってもダンスは続けたが、「色んなことに挑戦しよう」「まだ人見知り気味だった自分を変えたい」と思い、神戸市の観光親善大使に応募した。

 ここで将来の道が見えてきた。

「観光親善大使のお仕事で、たった一人でイベントを回さないといけない日があったんです。当然ですが、司会なんて一度もしたことがない(笑)。何とかしなくてはと思い、台本を丸暗記するぐらいの勢いで準備して、当日を迎えたんです。そうしたらスムーズに進行できましたし、ゲストの方とも楽しく会話できたのですごく楽しかったんです。イベントにいらしていたおばあさんにも『あなたの喋り、すごく聞きやすかった。すごく好きだから、応援してるわよ』って声までかけていただいて。

 人前に出るのも苦手だった私が、こんなこともできるのかって思えたことがすごく自信になって、それで『喋る仕事をしよう』と考えたのが大学1年の終わり頃でした」

 そこからの行動は早かった。大阪のアナウンススクールに通い、関西弁から標準語を習得するレッスンから始めた。当時、父の昭浩氏はフジテレビの夕方の情報番組『スーパーニュース』に出演していて、アナウンサーという仕事について聞かされることも多かったという。

父から「『アナウンサーは、素晴らしい仕事だよ』って」

「父からは、『アナウンサーは、素晴らしい仕事だよ』ってよく聞かされていました。私自身も父が番組に出ているのを見ていましたし、特に西山喜久恵さんには『永島さん、こういうことですよね』と優しく言っていただいたり、言葉につまったらすぐにフォローしていただき(笑)。そういう姿を見て、アナウンサーをすごく尊敬していました」

 父との縁もあってフジテレビは学生時代から身近な存在だった。とりわけ、『めざましテレビ』は永島さんにとって、子供の頃から大好きな番組だった。

【次ページ】 「自分は何者なのか?」悩み続けた入社3年間

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