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「えっ、なんで?」監督からまさかの宣告…鎌田大地が勝てなかった“愛媛の天才”はなぜトップチームに上がれなかった?「大地はプロで活躍しているのに…と」
posted2026/08/03 11:01
愛媛FCユース時代の清川流石(左)と東山高校時代の鎌田大地(右)。四国に生まれた「2人の天才」の運命は微妙なズレを生じはじめる
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph by
(L)FC TIAMO / (R)Takahito Ando
「ギラギラしているだけじゃダメで、技術も必要で……頭で考えることも必要で。ましてやチームの戦術もあるし、スタイルもある。そのことはユースに入って初めてちゃんと考えるようになりました。今までは能力だけで戦っていたサッカー人生が、ちょっとステージが変わったというか」
ユース昇格直後の経験をそんな風に振り返るのは、当時愛媛FCの下部組織に所属していた清川流石だ。
清川は小学校時代から現日本代表の鎌田大地(クリスタルパレス)のライバルとして“四国の天才”として名を馳せた選手でもあった。ジュニアユース時代には、年代別の日本代表候補にも選ばれている。
ユース昇格早々にぶつかった“壁”
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そんな清川が高校年代に入って挑戦したのが、高円宮杯プレミアリーグだった。
ユースチームと高校チームから全国トップレベルの24チームが同じフィールドで戦う同リーグは、高校年代最高峰のリーグ戦である。16歳当時の清川は、そこでの試合で衝撃を受けたという。
「当時のプレミアリーグで戦ったヴィッセル神戸や京都サンガがすごく強くて。本当に10点ぐらい取られて大敗して、結局その年に愛媛は降格してしまったんです。そこでは当時の高校3年生の選手たちと、高校1年生の僕との力の差を目の当たりにしました。それはジュニアユース時代の中学生年代では感じられなかった部分でもありました」
チームとしての完成度はともかくとして、清川がショックだったのはそれまで自信を持っていた「個」の能力でも歯が立たなかったことだった。
「それまではチームは大敗しても個人ではそれなりに戦えていた感覚はあったんです。それが全然、通用しなかった。ただ、もちろんまだ1年生でしたし、伸びしろはいくらでもあるとも思っていました」
まずは個の能力で通用しなければ話にならない。
そこで清川がこだわったのは、体力の強化とシンプルなシュート技術だった。

