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「また審判叩きが始まるのか」佐々木朗希と白井球審の件で思い出す“暴行・恫喝の過去”… ロッテ元守護神が判定技術を称賛するワケ
posted2022/05/04 11:04
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Hideki Sugiyama
4月24日の京セラドームでの佐々木朗希の登板で、佐々木に詰め寄った白井一行球審の一件は、未だに議論が続いている。野球関係者だけでなく、芸能界などにまで広がって「大事」になっている印象だ。
筆者は現場で観戦した。2回裏のことだったが、現地で何が起こったか気が付いたファンは少なかったのではないか。筆者も直前にオリックスの杉本裕太郎が盗塁したことに気を取られていたほどだった。マウンド付近に球審が歩いていったのは見ていたが、ほぼ満員だった球場内もざわつくことはなかった。
昭和の時代、「審判がよくない」という論調だった
しかし数分後からSNSで声が上がり始め、30分後にはネット記事で「白井球審が詰め寄った」ことがニュースになっていた。その時点ですでに「白井球審のパフォーマンスだ」的な見方が大勢で「この大事な試合で、なぜこんなことをするのだ」的な論調になりつつあった。
「また審判叩きが始まるのか?」
こんな嫌な気分がした。
昭和の時代のプロ野球では、審判の判定に監督や選手がクレームをつけることが珍しくなかった。暴力をふるうことさえあったが、多くのファンは「審判がよくない」という論調だった。
今も思い出すのは、1982年8月31日、横浜スタジアムでの阪神2コーチによる審判への暴行事件だろう。島野育夫、柴田猛の2コーチがファウル、フェアの判定を巡って鷲谷亘三塁塁審に暴力をふるったのだ。
さすがにこのときは安藤統男監督が謝罪した。セ・リーグの鈴木龍二会長は2コーチに「無期限出場停止」を科した。この処分を支持する人も多かったものの、一方で「審判の質が悪いからこうなるのだ」という論調も存在していた。
たまたまこの試合の後に、塁審に打球が当たって方向が変わり、安打になるという試合があった。このとき「審判は石と同じだから、打球が当たってもプレーはそのまま続行される」というルールが紹介された。この後、関西では「審判が石と同じなんやったら、石ころ殴った阪神のコーチがなんで謹慎せなあかんねん」という話が冗談半分で流布したものだ。
“審判軽視”の流れを変えた97年の事件とは
プロ野球(職業野球)の審判は、草創期から戦後しばらくまでは池田豊、井筒研一、二出川延明、横沢三郎、島秀之助など、大物野球人が務めていた。大学やプロで実績を残した元選手が多く、各球団の監督より年長者が多かったことから、審判を侮辱したり、からかったりすることは少なかった。
しかし戦後、現役時代に実績のない元プロ選手が審判に転向するようになって、審判を軽く見る風潮が次第に大きくなっていったように感じる。
野球界には「年功序列」と「実績主義」が根強い。