甲子園の風BACK NUMBER
センバツ準V近江「エース山田陽翔と自分の違いは何か」控え左腕が“決勝の先発”を直訴した理由…大阪桐蔭戦の夜に誓った約束とは?
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byNanae Suzuki
posted2022/04/16 17:01
大阪桐蔭の決勝戦が初の甲子園マウンドとなった星野世那(3年)。悔しい結果に終わったが、夏へ向けて成長を誓った
近江は近畿大会の準々決勝で金光大阪に敗れことでセンバツ出場権を得ることはできなかったが、開幕前日に辞退を発表した京都国際に代わっての出場が急遽、決まった。しかし、ベンチ入りメンバーに外義、副島の名前はなかった。
「外れたことはショックでしたが、そんな気持ちを顔に出したらメンバーに申し訳ないので、日本一を目指すチームのために初戦からスタンドで応援することだけを考えました」(外義)
「去年もそうですけれど、結局山田1人に頼りっぱなしでした。自分も戦力になれるようにもっと経験を積んで、信頼をしてもらうようなピッチャーにならないといけないと思いました」(副島)
外義は悔しさを胸の奥に閉じ込め、アルプススタンドでメガホンを振り続けた。副島は反対にベンチ入りできた仲間に羨ましさを覚えつつ、自らを奮い立たせようともしていた。
決勝での先発を直訴していた星野
そんな2人とは違った視点で山田を見つめていたのは、応援団の目の前にあるブルペンで全試合ピッチング練習をしていた星野だった。
「(連投が続いている)山田が疲れているのは分かりました。試合を重ねていくごとに、正直見ていられなくて……。いつでもいける準備はしていました」
実は決勝の前日、ここまで一度も出番がなかった星野は先発を志願していた。だが、多賀監督からは“その気持ちだけ受け止めておく”としか告げられなかった。そして翌日の決勝のマウンドに送り出されたのは、山田だった。多賀監督はその理由を語る。
「1年秋の近畿大会、2年春の県大会と敗れた試合で決勝打を打たれたのは山田でした。もちろん、体の状態は気にしていました。でもアスリートである以上は、超えないと成長できない壁がある。あの状況でも彼は投げたいと言っていました。投げ切って日本一を目指したい。そんな私の思いと一致したんです。去年までなかった彼の強い気持ちを尊重したんです」
星野はその“判断”を冷静に受け止めた。
「自分には信頼がなかったんです。信頼がないと先発はさせてもらえない。今の自分ではまだまだ力不足だということが、あらためて分かりました」