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「高校時代の自分が聞いたら腰を抜かす」中華料理店でバイトしていた青年はなぜロッテのエースになれた? 石川歩33歳の運命を変えた“シンカー” 

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千葉ロッテマリーンズ取材班

千葉ロッテマリーンズ取材班Chiba Lotte Marines

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posted2022/04/07 11:03

「高校時代の自分が聞いたら腰を抜かす」中華料理店でバイトしていた青年はなぜロッテのエースになれた? 石川歩33歳の運命を変えた“シンカー”<Number Web> photograph by Chiba Lotte Marines

開幕投手として初めて白星をあげたロッテ石川歩(4月11日で34歳)。「専門学校に進もうと思っていた」という学生時代を振り返った

「大学で野球を続けるのはレベル的に無理だと思っていた。専門学校に進学して、なにか手に職をつけたいなあと。本当にぼんやりとですが、服飾に興味があり、その専門学校を考えていました」

 60人ほどが同じようにセレクションを受けていた。その中で10人程度が合格すると説明を受けた。打撃投手とフィールディングチェックのノックを受けた。不合格と思い込んでいたが、2週間後、まさかの合格の連絡が届いた。高校のチームメート9人のうち、大学で野球を続けたのは石川と、もう1人だけ。ちなみにもう1人のチームメートはその後、中学校の教師になった。

「野球とは不思議な縁で結ばれています。いろいろな分岐点はあって、いつ野球を辞めていてもおかしくはなかった」

大学で習得した宝刀「シンカー」

 そんな石川の野球観が変わったのは大学に入ってからだ。監督やコーチからピッチングのいろいろなメカニズムを教えてもらった。目から鱗が落ちたような心境だった。同じスポーツをやっているのに、まるで新しいスポーツにチャレンジしているかのような気持ちで日々を過ごし、大学では投球における下半身の使い方を徹底的に研究した。ノビ、キレ、球速。石川の基礎はこうして作られた。

 今や石川の代名詞ともなっている宝刀・シンカーも大学時代に習得している。

 カーブとスライダーだけではなかなか打者を抑えられない。大学野球の壁にぶち当たり、伸び悩んだ。そんな時、監督、コーチに指摘された。

「もう1種類、変化球があれば違うけどなあ……」

 新球をマスターすることも考えたが、自身の中でなんとなく思い当るものが、脳裏の片隅に1つだけあった。中学時代に遊びで使っていたボール。野球のテレビゲームを楽しんでいて一番打ちにくかった球種で、それがヒントになり中学の軟式野球部時代にチームメートと一緒に研究をしてアドバイスをもらい、遊びで身につけた握りだった。

「誰に教えてもらった? いや、正直、誰だったかも覚えていません。中学校のチームメートの誰かです。『シンカーってどうやって投げるんだろう?』という雑談をして、誰かも覚えていませんが友達の1人が『こんな感じじゃないの?』って。ああ、なるほどという会話で投げてみて、ああ確かにというような感じです。本当に誰だったかなあ……」

 石川はシンカー誕生秘話を冗談のようなエピソードで淡々と振り返る。

【次ページ】 イメージは高津臣吾のシンカー

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