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オリンピックPRESSBACK NUMBER
最強一家の末っ子・平野海祝19歳「週1回ですらめっちゃ嫌だったんですよ(笑)」…学校好きの少年が“本気でスノボーに向き合うまで”
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byAsami Enomoto
posted2022/03/31 11:00
北京冬季五輪の男子スノーボードハーフパイプに出場した平野海祝。最強の兄・歩夢を追う19歳のロングインタビュー
スキー場は望んで行く場所ではなく、テレビの取材が来ているからと渋々出かけて、兄たちと滑る画を撮ってもらった時もあったという。海祝にとっては、ニンテンドーDSで遊ぶ方がもっと熱中できたし、学校の友達と一緒に過ごしている方がよほど楽しい時間だった。
自分はいつ『スノーボードをやる』と言ったのか?
ソチ五輪を見てオリンピックを目指すと宣言してからも、その姿勢がすぐに変わったわけではない。兄のメダル獲得には大いに幼心を揺さぶられたとはいえ、それは野球少年がイチローや大谷翔平に漠然と憧れるようなものだった。海祝にとって世界の頂点はまだそれだけ遠く、滑りもまだまだ未熟だった。
「始めた頃に兄ちゃんに『ちょっと回転やってみろ』と言われてフロント540をやったんですけど、思いっきり逆エッジをくらって背中にどっさり雪が入ってきた。それが嫌で、もうマジでハーフパイプやめる!ってなりました。そういう記憶はめっちゃ覚えてます(笑)」
ことあるごとに、やめたいと口にし、両親からは「自分でやりたいと言ったんでしょ」とたしなめられた。ただ、海祝には一つ大きな疑問があった。
そもそも自分はいつ「スノーボードをやる」と言ったんだろうか。
夢のようなサクセスストーリーの出発点、五輪を目指すという宣言の記憶すら本人にはあやふや。両親に反対されても聞かず、自ら望んで足を踏み入れた世界だったはずなのに……。11歳の子どもの記憶ってそんなものかもしれない。ともあれ、海祝はどこか腑に落ちない気持ちを抱きつつスノーボードを続けていたのだった。
「もう戻れないなっていう心境でしたね(笑)」
何カ月練習してもしばらくは540までしか回せず、バックサイドの技も全然できなかった。それでも最高の手本が間近にいる環境と指導の賜物だろうか、1年、2年と経つうちに飛躍的に進歩していき、中学2年生ではフロントサイド、バックサイドのどちらでもダブルコーク1080を打てるほどになっていた。
「それは自信になりました。ここまで一気にできるようになる人っていないんじゃないかなと思って。だから、その時はもう戻れないなっていう心境でしたね(笑)」
“夢に向かう”のではなく“戻れない”。それだけ上達しても、まだ釈然としないものが残っていた。そんな海祝が心底スノーボードを受け入れられるようになったのは実は最近のことだという。