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オリンピックPRESSBACK NUMBER
最強一家の末っ子・平野海祝19歳「週1回ですらめっちゃ嫌だったんですよ(笑)」…学校好きの少年が“本気でスノボーに向き合うまで”
posted2022/03/31 11:00
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Asami Enomoto
「自分には絶対に無理だと思って始めたんです」
少年は11歳の時にオリンピックに憧れた。いつか自分もあの場所に立ってみたい。2014年、ソチ五輪でメダルを獲る兄の姿を地元のパブリックビューイングで観て、そう思った。
それから8年が経ち、今年の北京五輪で彼はついに夢を叶えた。兄・歩夢の背中を追って夢の舞台に辿り着いた平野海祝(かいしゅう)の物語は、そのプロットだけを見れば、まっすぐで力強いサクセスストーリーに見える。
だけれど、子どもの思いつきはもう少し気まぐれで揺るぎやすく、スノーボード人生には紆余曲折があった。
「ちょっとやってみてダメそうだったらやめようというか、自分には絶対に無理だと思って始めたんです。あの頃はスキー場で一般の人と一緒に滑るのがやっとぐらいのレベルだったんです。もっとたくさん滑ってる年下の子どもたちの方がよっぽど上手かったですよ」
五輪のミックスゾーンでは「兄ちゃん」と連呼する姿がほっこりとした印象を与えたが、インタビューでの受け答えにもつんけんとしたものはなかった。歩夢が孤高の存在であるならば、海祝はもっとフランクで親しみやすい存在。「あの頃は考え方も子どもでしたね」と照れくさそうにしながら、海祝はスノーボードとの関わり、自らの子ども時代のことを語り始めた。
「学校に行ってる方が絶対に楽しいでしょ?って」
海祝が物心ついた頃、2人の兄、英樹と歩夢は父・英功さんの英才教育を受けて日夜厳しい練習に励んでいた。そんな環境下に生まれた末弟であれば、自ずとスノーボードに生きることを宿命づけられそうなもの。だが、本人にその気はまるでなかった。
「自分は学校が大好きだったので週に1回ぐらいしかやってませんでした。日曜日にスノボをやって水曜日にスケボーしてみたいな。でもその1回ですらめっちゃ嫌だったんですよ(笑)。兄ちゃんたちは小中学生とは思えないぐらい上手くて、厳しく取り組んでいたから、そういうのを見ていたら、やっぱやりたくないなと思いましたね。そんなことするよりも学校に行ってる方が絶対に楽しいでしょ?って」