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リーゼント、特攻服、愛読書はビー・バップ…逮捕も経験したボクサー和氣慎吾(34)に聞く「なぜボクシングから“ヤンキー”が減ったのか」
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byShimei Kurita
posted2022/04/02 11:00
34歳になった今も「世界」を諦めない和氣慎吾(34歳)。代名詞となっている“リーゼント”へのこだわりも語った
和氣の代名詞でもあるリーゼントヘアーでリングに立つことを決めたのもこの頃だ。
「ある日、東十条の床屋に行ったら『固くて太い髪質。お兄ちゃんはリーゼントにするために生まれてきた男や』と言われて、『ああ、そうか』と妙に納得してしまって。プロは目立ってナンボですし、お客さんに覚えてもらうためにもリーゼントはいい。その言葉の通り、整髪料もほぼ使わずで、毎日髪型のセットも15分とかからずに完成するんですよ(笑)」
2010年以降、リーゼントの元ヤンキーボクサーの戦歴は一変することになる。
たちまち連勝街道に乗り13年には小國以載(おぐに・ゆきのり)をKOし、OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得。5度の防衛の末、16年には初の世界挑戦の権利を掴んだ。だが、テレビ放映もされたジョナタン・グスマンとの試合では、力の差を見せつけられ完敗した。
そこから再起し、6連勝で再び掴みかけた世界への切符は19年に無名のフィリピン人ボクサーに敗れたことで再び白紙となった。そして、勝てば世界戦にグッと近づいた井上拓真との試合でもまた、敗れ去った。
14年にはスコット・クィッグ、ギレルモ・リゴンドウとのビッグマッチが決まりかけたこともある。戦歴的にも実力的にも、かみ合わせ一つでチャンピオンベルトを腰に巻いていてもなんらおかしくない。それでも、和氣には何かが足りなかった。
「才能という言葉が嫌いで、勝てないのは自分の努力が足りないから。それしかないと思ってやってきた。でも、これだけやって世界に届かない。その現実をみて何度も辞めようとも考えた。ただ、まだ応援してくれる人の期待に応えられてない。もう一度、世界を目指す姿をリングで表現できるまで辞められないっす」
綾小路翔、三浦大輔…リーゼントが繋いだ縁
和氣が手のつけられない不良だったことは周知の事実だ。しかし、そのエピソードを掘り下げていっても、不思議と不快な感情は生まれない。悪さを武勇伝として切り売りするような、格闘家崩れの配信動画のような後味の悪さもない。むしろ真逆ともとれた。
それは、和氣の言葉が持つ“純度の高さ”に起因しているようにも感じる。どこまでも前向きで、カラッとした人間性には、対面したものでしか計れない魅力が宿る。
事実、和氣には地元岡山を含め、長年スポンサーとして支援を続ける複数の企業がある。敗戦しても、壁にぶつかった時も彼らの態度は変わらなかった。試合になると全国から和氣のバックボーンに共感する応援団が駆けつける。背中のガウンに刻まれた文字は「拳闘番長」。リーゼントボクサーとして、自身の生き様を貫き通したゆえに、多くの出会いにも恵まれた。
「拳闘番長は、氣志團の綾小路翔さんが名付け親です。ハマの番長・三浦大輔さんもそう。リーゼントが繋いでくれた縁はたくさんある。もともとはボクサーになるかヤクザになるか、という人間です。この髪型で得したことはあっても、損したことはないし、誇りを持ってます。だからこそ、半端では終われないぞ、と自分なりの覚悟の表れでもあるんです」