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リーゼント、特攻服、愛読書はビー・バップ…逮捕も経験したボクサー和氣慎吾(34)に聞く「なぜボクシングから“ヤンキー”が減ったのか」 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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posted2022/04/02 11:00

リーゼント、特攻服、愛読書はビー・バップ…逮捕も経験したボクサー和氣慎吾(34)に聞く「なぜボクシングから“ヤンキー”が減ったのか」<Number Web> photograph by Shimei Kurita

34歳になった今も「世界」を諦めない和氣慎吾(34歳)。代名詞となっている“リーゼント”へのこだわりも語った

 中学時代の仲間はほとんど高校進学をしていない。そんな中でひとり地元を離れ、岡山商科大学附属高校に進学した。ボクシングの才能を見込まれ、熱心なスカウトを受けたからだ。和氣のために新設されたというボクシング部で、インターハイにも出場している。

 だが、生活は中学時代よりも荒れた、と回顧する。

「(高校は)地元じゃなかったので、誰も僕のことを知らないから中途半端な奴らが喧嘩をふっかけてきた。リーゼント頭で目立っていたので、生意気だ!と次々と不良が喧嘩を売ってきて……それを撃退しては、また喧嘩の日々でした。僕も含めてですが、エネルギーは有り余っていて、喧嘩でしか表現方法が分からなかった。今度はそいつらとツルみ出して、車を盗んだり、バイクで暴走行為と、今思うと高校時代は手のつけられないワルだったと思います」

 そして、和氣の未来を決定づける“事件”が起きる。高校卒業を目前にしたある日、警官が自宅を訪れてきた。度重なるバイクでの暴走行為と暴力沙汰による逮捕の通告だった。

「逮捕された時、目の前が真っ白になった。学校も辞めなければいけない。もう、ヤクザになるしか道は残されてない、と思ったんです。ただ、親をこれ以上悲しませたくない。自分のような人間に何が出来るか。それを考えた時、残っていたのがボクシングだけでした。

 インターハイの時に声をかけてもらった、古口ジムの故・古口哲(さとし)の名刺に親から連絡してもらいました。古口さんは『ヤンチャなくらいがボクシングには向いている』と、身元引受人にもなってくれた。それでこの人のもとで、世話になろうと決めました」

 誰もが認める札付きのワルだったが、和氣のボクシングへの情熱を知る教師陣もいた。彼らの働きかけもあり、退学だけは免れた。卒業後、単身上京し古口ジムの門を叩いた。

「今の時代なら、確実にアウト(笑)」

 2006年にプロデビューし、そこから3連勝を飾るが、その後は2敗1分。決して思い通りのキャリアを描いてきたわけではない。

「最初の2年くらいは会長の鞄持ち。住み込みですが、まともなトレーニングをさせてもらった記憶がないんです。バイト先のコンビニも会長の息のかかった場所。24時間監視されているような環境で、練習もしてないからストレスもたまる。今の時代なら、確実にアウトだと思います(笑)。でも、まだボクシングで食うという覚悟がなかった自分の心の奥底を見透かされていたのかもしれません」

 古口哲といえば、鬼塚勝也らを育て上げた名トレーナーとしても知られる。数多の不良少年と向き合い、拳闘の道へと導いてきた。おそらく古口なりに和氣に我慢を植え付ける作業だったのだろう。空白の2年間を経て、和氣はボクシングに餓えを覚えていた。技術的な裏付けがなければ、激戦のスーパーバンタム級で10年以上に渡りトップ戦線に残ることは不可能だ。その基盤は古口ジムでのハードトレーニングにより培われた。

「拳一つで飯を食ってやる、という覚悟を持てたのもこの時期でした。世界チャンピオンになるまで岡山に帰らない、と。そう腹を据えて、ボクシングと向き合うようになったんです」

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