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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈甲子園出場vs不出場野手の通算安打番付〉両横綱はイチローと張本勲だけど…大関以下は誰? “エリートと雑草”の好対照ぶり
posted2022/03/21 11:04
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Getty Images/Kou Hiroo
春の甲子園(センバツ)の開幕に当たって、プロ野球で実績を残した選手たちを「甲子園出場」「不出場」に分けて番付を作ってみた(※外部サイトでご覧の方は「関連記事」などからご覧になれます)。
全国に硬式野球部がある高校は4000校弱あると言われるが、毎年春・夏の甲子園に出場できるのは最大で約2%の81校である。過去に1度でも甲子園に出場したことがある高校は、トータルで1000校弱とされるから、甲子園に出たことがない高校が圧倒的に多い。
つまり、普通に考えれば不出場校の出身選手の方が多いはず、という前提に立っている。
今回は打者編と投手編に分け、打者編では安打数を見てみることにした。甲子園の全国大会に1試合でも出た選手を「出場」とする。ただしベンチ入りしただけの選手は含まず、また高校中退選手も含む。学校名は当時の名称とした。安打数順、安打数にはMLBの記録も含む。
有望選手だったイチロー、張本は浪商に途中入学
出場組の横綱は史上最高の安打製造機イチロー。愛工大名電2年夏の甲子園では3番左翼手として1安打を放ち、3年春の甲子園には投手として出場したものの初戦敗退。愛知県では有望選手として早くから知られていたが、全国区では無名で1992年ドラフト4位でオリックスに入団した。
不出場組の横綱はNPB唯一の3000本安打の張本勲。出身校の浪商は戦前からの強豪だったが、広島の松本商から途中入学したものの甲子園には無縁だった。
張本は1940年度生まれ、出場組の大関・王貞治とは同学年である。王は早実で1年生から左腕エースとして知られ、2年春の甲子園で全国優勝。4季連続で甲子園に出場した。ただこの世代最大のスターは王貞治ではなく、徳島商の板東英二だった。
板東は3年夏の甲子園で魚津との延長18回の引き分け試合を1人で投げ抜いて、翌日の再試合も完投、最終的に惜しくも準優勝に終わったが夏の大会最多の83奪三振を記録している。卒業後は中日に入り通算77勝。後年、野球解説者になるが……。
「私の時代にドラフトがあったとすれば、私は“いの1番”であったでありましょう。失礼ながら王さんや張本さんより上だったはず。高校時代は輝いていたんです、今や月とスッポンですが」
アナウンサーが黙って聞いていると、
「そんなことないって言わんかー!」とネタにしていた。