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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈甲子園出場vs不出場の投手番付〉昭和の大投手が横綱!田中将大や松坂大輔は… 無名だった黒田博樹、「出たけど代打だけ」は誰?
posted2022/03/27 11:03
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sports Graphic Number/Kou Hiroo
少し前まで、日本野球選手のエリートコースは「エースで4番」で甲子園に出場し、優勝投手になって、プロ野球に進むことだとされていた。王貞治がまさにこのコースだが、実際にはそれほど多くはない。「甲子園出場」「不出場」に分けた番付、投手編を見てみよう(※外部サイトでご覧の方は「関連記事」などからご覧になれます)。
プロ野球で実績を残した投手を実績順に並べた。数字は「勝利数+セーブ数×0.3+ホールド数×0.25」で、日米通算成績で、2021年シーズン終了時点。
金田は甲子園予選敗退→中退で入団
甲子園出場組のトップは、近鉄のエースにして最後の300勝投手の左腕・鈴木啓示。兵庫県の育英時代に1965年春の甲子園に出場するも初戦で敗退している。
続いて戦前の別所毅彦。これも兵庫県の旧制滝川中から1941年春の甲子園に出場(当時は別所昭)、しかし試合中のクロスプレーで左腕を骨折。他に投手がいなかったため折れた左腕を包帯で吊って投げた。捕手の返球はゴロで返してもらう状態だったが、サヨナラ負け。新聞には「泣くな別所センバツの花」という見出しが躍った。のち南海、巨人でエースとして活躍。巨人での221勝は球団史上最多である。
続いてライオンズのエース東尾修。箕島から1968年春の甲子園に出場、ベスト4まで進む。尾藤公監督率いる箕島は後年、甲子園で一時代を築くが、この時が初出場だった。
甲子園の優勝投手としては野口二郎が最多勝。中京商エースとして1937年夏、38年春に優勝投手。プロでは歴代2番目のシーズン40勝を記録。打者としても830安打した「二刀流」だった。
通算成績では、甲子園不出場組の方が圧倒的に上だ。横綱は史上唯一の400勝投手金田正一。金田が在籍した享栄商は1948年夏の甲子園に出場したが、1年生の金田は補欠で試合に出ていない。2年生は予選で敗退、翌3年生の夏の予選で敗れ、甲子園への夢が断たれると、中退して国鉄スワローズに入団した。昔は金田のような経歴を歩んだ選手が結構いた。
プロで200勝した甲子園優勝投手は2人だけ
通算350勝の阪急の大エース、米田哲也も鳥取、境時代はあと一歩で甲子園出場を逃した。
320勝の小山正明も甲子園不出場だが、彼が通学した兵庫県の高砂は後にも先にも一度も甲子園に出場していない。阪神、ロッテ、大洋で投げた。
303勝のビクトル・スタルヒンはロシア西部の生まれ。ロシア革命で両親が亡命し9歳で北海道に。旧制旭川中学に入学しエースとして活躍するも甲子園に出場することなく中退して巨人に。今、ロシアのウクライナ侵攻が続いているが――将来的に、スタルヒンのような経歴の選手が出てくるのかもしれない。